説教要旨
コリント人への手紙 第一 (46) 16章13~24節
■<13~14節>目をさますとは、信仰において目をそこに定める。神様を信じる信仰を堅く保っていく事。手紙の最後に、パウロは様々な分裂分派や問題の中にあってもコリント教会を愛し、立てられるようにと願っていた。■<15~18節>ステパナとポルトナトとアカイコはエペソにいるパウロにコリント人への手紙を持って行った。ある方々は、何でパウロに告げ口をするのだと言う思いを持った。その為ステパナ達は神様の御心を行ったのだと語り、ステパナはアカヤで一番初めに救われ土台となった人。神様の御心を受けて立てられている方々に従い神様の御心を行いなさいと述べていく。17節にあなたがたの足りない分の理由を述べている。パウロやコリントの方々において簡単に言えば情報の欠けがあった。私はペテロに着くアポロに着くと分裂があり、肉の問題や様々な霊的な問題に関して伝えていなかったか、欠けがあったと思われる。ですから問題がありますと言う連絡を受け、手紙を書くことを通して、足りない部分や変えられるべき部分を書くことができ、互いにそれを保管する事ができた。結果18節にコリント教会の問題や困難、間違った事が明らかになり神様によって正され御心がなされ正しい方向に歩む。これは素晴らしと感じてこの事を書いている。■<19節>ここからは挨拶。アクラとプリスカとの関わりは使徒18:1~4をみると分かる。コリント教会の伝道の一番初めパウロ達を助け、家を提供し仕事の合間にコリントの方々に福音を語る手助けをした土台の土台。アクラとプリスカは男性と女性、始めに男らしく強くあれとあるが、聖書は父なる神と男性中心に書かれているが女性を蔑視している訳ではない。プリスカは女性、男性が中止に働くが女性も用いる事を覚えて頂きたい。■<20節>聖なる口づけは日本ではしない。以前ルーマニアに行った時、聖書通り互いに挨拶を交わしていた。その土地によって変わることを覚えて頂きたい。■<21>ここまでは口述筆記。22節からパウロの手によって書かれた。■<22節>ここはこの手紙の慣用句と言われ、従わない者はのろわれよとは外されると言う意味。パウロ達は何を望んでいたか、マラナタ、イエス様の再臨。この地上に神の国の来る事を祈っていた。■<23節>パウロは非常に強くコリント教会に介入し間違いを糾弾し教えた。しかしその心は神様の恵みがあるように、そして■<24節>パウロはコリント教会をコリントの人々を愛していた。ですからこの手紙を書いた。同じように私達もコリント書を学んで色々な欠けや間違い、他、御霊の賜物に関して現代において聖書の言っていることと違う事を多々見るが、私達は聖書によって歩む事をさらに覚えて頂きたい。(文責:米村美智代)