礼拝生中継
今週の週報
説教要旨
ローマ人への手紙 (6) 2章12~16節
■全ての人が罪人だという箇所。律法とは正確にはモーセ5書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)、総じて旧約聖書。律法を持たない者とは聖書を持たない異邦人。■<12~13>律法を持たないで罪を犯した者は、律法を持たないまま罪と定められ、律法を持つ者で罪を犯した者は、律法によって裁かれる。13節に「律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行う者が正しいと認められる・・」律法を聞くとは、当時、聖書は本ではなく、1巻ごとに大きな巻物。それはユダヤ教のシナゴーグにしかない。当時の礼拝は聖書の朗読を聞く事が中心。聖書を聞いているから正しいとユダヤ人は勘違いしていた。しかし、旧約聖書は「これからイエス様が来ます。さあ待ち望みましょう。」新約聖書は「もうイエス様は来られました。信じましょう。」つまり行う事を言っている。主を期待して待つ。主が来たから信じる。それを聞く者でなく行う者が救われる。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」の「信じる」という行い。それによって救われていくという事をまず知って頂きたい。■<14~15>律法を持たない人は聖書を知らないのに、なぜ裁かれるのかと疑問を持つ人がいるかと思うが、私達がどのように造られたかを知る必要がある。創世記1:26~27「神は人をご自身のかたちとして創造された。」人は神のかたちに創造されている。これは大事なメッセージ。私達は神様の本質を持って形造られた。しかし、そこにサタンが来て、善悪の知識の実を騙されて食べてしまった。サタンが悪いが、でもそれを選んだのは人。神の本質を持っているのに、神様から的外れで、神から離れてしまうという罪を犯してしまった。だから私達の内に神様の本質と共に、的外れの本質がある。ここは大事。私達の本質は神の形に造られているので、神様のご性質である愛、喜び、平安、寛容、親切・・を既に持っている。だからこそ私達は、罪は何であるかも本来分かっていると聖書は言っている。■<16>裁きの事を言っている。全ての人は罪人。そして裁かれる。黙示録20:12は「最後の審判」で、ユダヤ人も、異邦人も、全ての人々が神様の前で裁かれる場面。私達は裁かれないのではなく、裁きの場に立つ。そして、私達一人一人は人生で成した行いを見せられる。でも命の書に名が記されていれば、最後に、あなたはこれだけの罪を犯した。しかし、あなたはイエス・キリストの十字架を信じているが故に、命の書に名が記されている。あなたの罪は赦された。これが大事。赦されたと頭でわかり、霊でわかるが、本当に赦されたと宣言を受ける。その最後の審判の時、神様の赦しをそこで最終的に確認して、黙示録21章は新天新地に入る。(文責:下地直美)
日付
音声
説教要旨
聖書箇所
2025/08/31
音声
-
ローマ 2:17-29
2025/08/24
音声
説教要旨
ローマ 2:12-16
2025/08/17
音声
説教要旨
ローマ 2:1-11
2025/08/10
音声
説教要旨
ローマ 1:26-32
2025/08/03
音声
説教要旨
ローマ 1:18-25
2025/07/27
音声
説教要旨
ローマ 1:8-17
2025/07/20
音声
説教要旨
ローマ 1:1-7