説教要旨
ローマ人への手紙(33) 11章11節―24節
■〈11節〉人々がイエス様の方に行くのを見て、パリサイ人と律法学者は妬み、イエス様を十字架にかけた。しかし、それによって異邦人に救いが開かれた。■〈12節〉黙示録をみると、ユダヤ人が救われるのは終わりの時代。私たちは、患難中携挙説を信じ、患難時代の最初に世界的なリバイバルが起こることを信じている。その時ユダヤ人は救われる。黙示録7章の14万4千人としてユダ族、ベニヤミン族とともに、失われた十部族が世界宣教の働き、神の働きに用いられていく。神の計画はすごい。ジグソーバズルの一つ一つのピースがはまってきているのを見る。■〈13-15節〉パウロはダマスコの途上でイエス様と出会い、使徒として異邦人の救いのために召された。パウロはユダヤ人である。使徒行伝を見ると、最初から異邦人のところに行ったわけではなかった。まず会堂やユダヤ人の集まりに行き福音を語ったが彼らは受け取らなかった。そこで、異邦人のところに行き、神を宣べ伝え世界中をまわっていった。パウロの願いは何か。そのことを通してイエス様を信じ救われるユダヤ人が一人でもおきてほしいということ。■〈16-18節〉民数記15章参照。イスラエルがカナンの地に入ったとき、最初に小麦の初物を神様に捧げた。すると神様は全てを聖いとされた。最初に代表を祝福する。つまり小麦の最初を祝福したら小麦の全部が祝福される。ヨシュアとカレブの箇所には深い意味がある。12人の族長たちが最初にカナンの地を巡り、神様が乳と蜜の流れるこの地を祝福しているのを見てきた。それを受け取ればイスラエル民族全て祝福されるという約束だった。しかし族長10人が不信仰になったため、ヨシュアとカレブと20歳以下の者を除いて、イスラエル全体が裁かれた。「初物が聖ければ粉の全部が聖い。根が聖ければ枝も聖い」。つまりユダヤ人が神様の祝福を受け取れば全体が祝福される。根というのは神様。私たちは野生種のオリーブとして十字架の恵みによって神に接ぎあわされた。霊的なイスラエルとなったことを誇ってはいけない。なぜなら神によって支えられているものだから。■〈19-22節〉ユダヤ人がイエス・キリストを妬んで十字架にかけたゆえに、全ての人が救われるという神の祝福があらわされた。この後AD70年にイスラエルはローマ軍によって滅ぼされ、世界中に散り散りにされる。それで多くの方々が置換神学を信じた。「ユダヤ人はイエス・キリストを否定したので選民イスラエルから堕ちた。国を失った。今、選民イスラエルは私たちである」という考え方。しかし1948年5月14日イスラエルが建国した。 これは旧約聖書の「私の民を集める」と語られた神の約束の成就。選民イスラエルは変わらない。私たちが霊的なイスラエルでありオリーブの枝として神様につながるのは変わらないが、大事なのは神様が私たちを恵みによって導いてくださっているということ。高ぶってはいけない。■〈23-24節〉終わりの時にイスラエルが救われるという神の約束がある。その時いとも簡単にユダヤ人が救われていくのを私たちは見ることであろう。それゆえ、先ほどの神のパズル、もし本当に日本人がユダヤ人、失われた十部族であるなら、神様につぎあわされるのはいとも簡単になされていく。私たちに与えられている約束「一人が100万人を」が成る。これはすごい数字。今、日本中で日曜日に礼拝に集っているのは20万―30万人。コロナで8千あった教会が6千に減った。クリスチャンはどんどん減っていると見る方もいる。でも私は期待する。神様の慈しみと恵みに。なぜなら終わりの時に救いが起きる。ユダヤ人が救われる。もし仮に、日本人がユダヤ人ならば大いなる救いが起きてくるであろう。 さらにそのことに期待していただきたい。(文責 フィベ知念)