説教要旨
リント人への手紙 第一(34) 14章1〜5
■ 預言を求めなさいという箇所。1節「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」を受け、なぜ預言を熱心に求めていくのかを説明している。当時、コリント教会においては異言が働きの中心。異言で祈る事を通して、霊的な体験や満たし導きなど様々な祝福があり、癒しもあったと思われる。しかしそれ以上に預言を熱心に求めなさいとパウロは語っている。どうしてか。■〈2節〉異言の祈りは神に話すもの。神様との交わり。ここに「霊の奥義」という言葉がある。聖書でいう奥義とは「今は隠されているが、神の時に開かれる神の御心」。つまり異言で祈る事を通して神様の御心が開かれる。しかし、異言なのでその内容は私たちには理解できない。■〈3節〉それに対して、預言は人に向かって話すもの。教会の徳を高め、慰めを与え、勧めをなし、指示、予知予告など、預言を通して神様が教会の一人一人に向かって励ましを与えていく。つまり、異言の働きは自分の徳を高め、預言の働きは自分を含む多くの方々に対して助けを与えるためにある。■〈4節〉御霊の賜物の働きは、教会の働き。教会の一人一人のために開かれていく。私自身の実体験として、預言がなければ牧師になっていなかった。預言の働きによって個人として祝福を受け、それとともに教会として祝福を受けている。ベニヤミン君が病になり神様に祈る中で、癒すと秋元師に語られた。それを見せていきなさいと語られる中で、いやしの信仰、奇跡の信仰が私たちに与えられてきた。また一番最初に、この教会において海外宣教が語られた。40年前は特別な器が海外に遣わされていく時代。ところが神様は、箸にも棒にもかからない私たちに海外宣教が語られ、長崎へのチーム派遣が導かれ、それが海外宣教の型と語られた。教会の徳がそこで高められた。■〈5節〉異言は「解き明かし」の賜物によって、神の言葉を私達が理解するならば教会の徳が高まる。今、異言の働きがない方は求めてください。聖霊の満たしを受ける中で異言は開かれてくる。するとどうなるか。自分の徳を高める。異言で祈ることを通して、自分の霊性、信仰が強まってくる。落ち込んでいる時、祈りたくない時、異言で祈って下さい。何かやりながらでも異言で祈ることができる。癒しも起きてくる。ただ、異言には3つある。①自分で勝手に作っている異言、②神様からくる異言、③違う霊からの異言。③は注意しなければならない。見分けるにはどうしたらいいか。教会で見分けて頂くとともに、その異言で祈ることを通して、自分の霊性や働きがどうなるか、実で見分ける。自分に対してどのような実が出ているのか。ぜひ見ておいて頂きたい。(文責 フィベ知念)