説教要旨
ローマ人への手紙(26)8章31~39節
ここは神様への賛美を信仰の告白としてパウロは語っていく。■<31節>「これらのことからどう言えるでしょう。」とは先週話した「神を愛し従う者には神様が全てのことを働かせて益としてくださる。」(ローマ8:28)という事だった。全てとは良い事、悪い事、受け取りがたい事。逆に言うと受け取りやすい事だけじゃなくて全て特に、悪い事が起きた時に見方を変える必要がある。神様がいないなら悪い事が起きたらそれは最後でいい。でも神様がいて神様の言葉がある時に悪い事が起きたら、その背後に神の計画、神の祝福、勝利が私たちは導かれている。悪い事が悪い事で終わる事が普通の人生。でも神様を信じている私達にとって悪い事が神の勝利に変わっていく世界がある。神が共にいるならば、ここが1番大事。味方でも、神様から離れる時、神の働きは開かない。一見、開いたかのように見える場合があるが、それは続かない。だから、鍵は神が共にいると立てるかどうか。神様の御心にローマ8:28は神を愛する人々、神のご計画に従うという条件付きである。同じように神様が私達 の味方だと立っていく。そして■<32節>私達にとって、イエス 様は救い主、神の御子、神様です。神様を生贄に捧げるほどに私達に、(ヨハネ3:16) 恵みをくださらない事があるのか。だから神が共にいるならば神の恵み祝福はある。これは大事な事。私のこの問題は神様でも無理だと私たちは否定的な思いを持ってしまう場合がある。私には能力ないから無理だと思っても全ての事を下さる恵みによって神様がして下さる。■<33節>訴えるのは誰か簡単に言えばサタン。ヨブ記を見れば分かるがヨブは訴えられた。神様はあるところまでは許された。ここに神が義と認めて下さった。神様が私達を正しいとして下さっている。■<34節>のイエス様の事。イエス様は私達ために死に蘇り今も生きて私達の為に執り成しして下さっている。この事を知っているのかとパウロは投げかけている。だからここで、■<35節>のキリストの愛は神様が共にいて下さる事。是非、どんな場合でも覚えて頂きたい。キリストの愛から引き離すのは患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣。つまり全ての悪いもの。キリストが共にいないという立場に立ってはならない。問題、困難があるからあたかも、神様どこ?神様助けてくれないのか?と思うのはいいが行動してはいけない。だから、■<36節>詩篇44:22節ここは神様が、この問題、困難の中で死に定められていると訴えている。大事なのは、この<37節>なる」と言う言葉は「なる」か「ならない」かは私達の選びである。つまり私達の信仰が問題、困難の中にあって神が共におられるという、そこに立ち続ける事を通して私達は圧倒的な勝利者となる。神が共におられる。これが勝者となる鍵。■<38~39節>ここは逆に悪い事ではなく死をも含むが、この世の全ても神の愛から私達を引き離すことはできない。この頭に「確信しています」つまり私は信じている。この世のどんなものも神の愛、神が共におられるという事から引き離すことできない。ただ引き離す事ができる事が一つある。それは自分から離れてしまう事。つまり外からのもの、サタンからのもの、全てのもの、それは神様の愛、神様ご自身から引き離す事はできない。引き離そうと訴えてくる時に自分が乗っかってしまうかどうかでる。一番、私達が注意すべき事は自分。そして私達は神様に愛されている事を是非知って頂きたい(文責:宮城末子)。