礼拝生中継
今週の週報
説教要旨
ローマ人への手紙 (3) 1章18~25節
■〈18-19節〉私たちは信仰によって神様の義、正しいとされる恵みを受けていく。これはロマ書のひとつの中心。私たちは、神様を信じることを通して正しいもの、罪なきものとされる。罪なき者とは、癒される者でもある。つまり、神様を信じ、義となっていくほど、私たちは癒され解放され祝福されていく。私たちが持っているのは石ころでしかない。しかし神の手によって義となっていく。そのことをまず強調しておきたい。なぜなら、このあと1章18節から3章20節までずっと罪の話になる。罪の話をするとある方は、落ち込む。しかし私たちはすでに神様によって救われ、義となっている。その前は正しくなかった。パウロはその義とされる前の状態について、ローマの人々や私たちに伝えていく。17節「義人は信仰によって生きる」18節「というのは」、不義(罪)をもって真理(神の御心)を阻んでいる人々の、・・・不敬虔(神様を正しく信じていないこと)と不正(まちがった行い、不信仰)に対して、神の怒り・・・。神の怒りとは、裁きをイメージするかもしれないが、不正と不敬虔の故にすでに神から離れていること自体が神の怒り。小さな子供が親から離されたら、親が共にいないというだけでギャン泣きする。神様と私たちは本当は一緒にいるはずなのに、神が共にいない。もうそれが怒りである。■〈20-23節〉人は本来神様を求めている。なぜなら私たちは神によって造られたから。ところが、その神を神としてわからないから、人を神にしてしまったり、鳥、獣、這うものを神としてしまう。日本人の八百万の神。神様って何?聖書の神は私たちを造られた神。神が「光あれ」と言った時に光ができた。そして土から人を造られ、私たちは神様によって造られたもの。だから本質的に神様を求めている。わからないから私たちは私たちの考える範囲で神を造って来ている。人が神を造っている。■〈24節〉私たちが神様を求める心が、逆に、こういう神があって欲しい、こういう祝福があって欲しい。その欲望に、神様は私たちを引き渡された。その状況を許された。■〈25節〉互いに体を辱めるようになり、神にない者となって行っている。それは彼らが自分たちで神を造って、偽りの神を拝み、偽りの神を信じ、造り主の代わりに造られた物を拝んでいるから。私たちは神に造られた。私たちは神様に愛されている。愛されていることを深く知るためにこれからしばらく、罪に関してお話をしていく。罪というのは、まとはずれ。神が共にいない状況。罪のことがわかると、私たちのまとはずれの状態がわかってくる。そこで逆に正しく神様に歩むことができる。そのために学んでいきたい。(文責 フィベ知念)
日付
音声
説教要旨
聖書箇所
2025/08/10
音声
-
ローマ 1:26-32
2025/08/03
音声
説教要旨
ローマ 1:18-25
2025/07/27
音声
説教要旨
ローマ 1:8-17
2025/07/20
音声
説教要旨
ローマ 1:1-7