説教要旨
ルカの福音書(77) 20章20~26節
■<20節>イエス様を亡き者にするために、パリサイ人、律法学者は間者を放った。マルコ12章13節を見ると、パリサイ人と律法学者は仲が良くないが、この時は「敵の敵は味方」となってイエス様を陥れるために罠をかけようとした。■<21節>このほめ言葉は彼ら(サンヘドリン)にとってはオベンチャラであるが、私たちにとっては真実な言葉。イエス様は分け隔てがなく、そして助けて下さる方。神様のご性質を知っておく時「助けて下さい」「分け隔てなく公平に扱って下さい」と祈ることができる。なのでそれは重要なこと。■<22節>ここで罠を仕掛けた。当時はローマの支配下にありユダヤ人は屈辱的に思っていた。そして人頭税、デナリ銀貨1枚をローマに支払っていた。その他、通行税やら色々あった。1デナリとはローマの銀貨でカイザルの肖像があった。十戒には像を作ってはならないとある。それもあってユダヤ人たちは、選民イスラエルなのにどうしてこれを納めなければならないのか、と思っていた。「納めなさい」とイエス様が言ったら、ローマに組みする者と言われ。「納めるべきではない」と言えば、総督に「ローマに対して反乱を起こしている」と訴えられる。だから何れにしろ、おとしめられる罠だった。■<23~26節>それに対してイエス様はその企みを見抜いて、黙るのではなく最善の答えを与えた。「カイザルものはカイザルに返しなさい。」ローマの支配を受けているという事は、戦争や様々な事から守られていた。ローマは道を造るので、経済圏が与えられ、商業的に豊かになり、文化的発展があった。イスラエルのカイザリヤに行くと円形劇場や競技場なと当時の都市の遺跡がある。カイザルを通してイスラエルは祝福されていた。だからカイザルのものはカイザルへ返す。そして今日の話の大きなポイントは、「神のものは神に返す。」彼らはイエス様を罠にかけようとしたが、神のものを神に返していなかった。神のものとは何か。創世記1:26~27によると、私達は神の形に造られた。神の形とは神の実質。だから私たちの内に愛があり、喜び、平安がある。御霊の祝福がある。神の形に作られているから。しかし罪のゆえに、不平、不満など、罪もある。だから私たちの内に神からの祝福の神の形もあれば罪ゆえの罪の形の部分もある。ではどうしたらいいか。「神のものは神に返す。」私達が神のものであると知って、神に仕えていく、神に歩み、神に従っていく。その時、祝福が始まる。私達が神の形だからこそ、神様に従う時、神様がすべての事を働かせて益として下さると聖書が言っている。ここは、ただの罠だけではなく、ここに深いメッセージがある。十字架の前に、あなた方は神の形に造られたものだ。あなた方が神に従っていく時に、神の祝福を受けるという、隠れたメッセージがある。私達は神のものである。そして神の祝福を受け継ぐ者である。その事を覚えて頂きたい。(文責:宮城末子)