礼拝生中継
今週の週報
説教要旨
ローマ人への手紙(11) 4章1~8節
■<1節>イスラエルのユダヤ人の人気ベスト3は、アブラハム、モーセ、ダビデである。パウロは代表的なアブラハムとモーセを用いつつ信仰の義の原則は行いではなく信じる事であると語っている。■<2~3節>これは創世記15:6にある。「彼は主を信じた。」とは神様を信じた、それが義となった。何かをしたからではなく神様を信じたから義(正しい)となった。イエス様を信じる事。イエス様が私のために十字架にかかって下さった事を信じる事。この二つを通して救いがなされる。例えば律法学者が私は十分の一を捧げ、週に二度断食し・・一方、罪びとがいて、私を憐れんで下さいと言った時、罪びとが義となった。つまり行いではなく、神を信じる信仰が義となっていくと聖書では徹頭徹尾、言い続けている。■<4~5節>働いた者が代価として報酬を受ける。でも神の義とはそうではなく恵であり、価なしに与えられる。行いではなく、働きではなく、不敬虔(罪)な人が神を信じるなら義とみなされる。こ〜しなければ、あ~しなければならないと行いが中心なら恵みではなく、ここで言う報酬となる。是非覚えて頂きたいのは私達が神様を信じて、救われているのは、何かをしたからではなくイエス様を信じ、イエス様の十字架を信じたから与えられる恵みである。だからこそ逆に私達は教会に繋がる事を通しての信仰の恵がある。基本的信仰生活、聖書を読み、祈り、教会に繋がり、奉仕者は奉仕をする。その事を通して私達は信仰生活が守られ祝福される。それが中心ではなく、その事を通して神の恵が私に現わされるという見方。つまり基本的信仰生活をしなければ、それは報酬になる。恵みの内にいることができ、導きを受けことができる。これは価なしに与えられる恵みであり報酬である。同じ事でも見方が全然違う。どういう事かというとダビデの場合は■<6~8節>これは詩篇32:1~2「霊に欺きのない人」つまり霊は私達の心。心でイエス様を信じている、不信仰ではない。神様を信じている。その人は幸いである。これは何を言っているのかというとダビデは行いによって救われたのではなく、許されることを通して救われている。ベテシャバの件で姦淫の罪を預言者が来て指摘された。その時ダビデは「私は主に対して罪を犯した。」と罪を心から認めた。預言者は「主は又あなたを許した。」とその場で宣告された。神様の前に「神様、私は罪を犯しました。赦して下さい。」と祈った祈りは神様に応えられる。ダビデは行いではなく主を信じる事を通しての救いを受けている。ここで信じる事は神様を信じる事。神ご自身が私の創り主であり救い主であることをそのまま信じる事。イエス様を信じ、イエス様が私の罪の為に十字架にかかって下さった事を信じる。その信仰を通して神の義(正しい)とされる世界を是非、皆さんに受けて頂きたい。(文責:宮城末子)
日付
音声
説教要旨
聖書箇所
2021/04/18
音声
-
ローマ4:9-16
2021/04/14
音声
説教要旨
ローマ4:1-8
2021/04/04
音声
説教要旨
ローマ3:19-31
2021/03/28
音声
説教要旨
ローマ3:9-18
2021/03/21
音声
説教要旨
ローマ3:1-8
2021/03/14
音声
説教要旨
ローマ2:25-29
2021/03/07
音声
説教要旨
ローマ2:17-24
2021/02/28
音声
説教要旨
ローマ2:12-16
2021/02/21
音声
説教要旨
ローマ2:1-11
2021/02/14
音声
説教要旨
ローマ1:18-32
2021/02/07
音声
説教要旨
ローマ1:8-17
2021/01/31
音声
説教要旨
ローマ1:1-7
過去の連続講解メッセージ