説教要旨
ローマ人への手紙 (12) 4章16~25節
■〈16節〉「そのようなわけで」とは13節「世界の相続人」。アダムとエバがこの地を相続せよと語られた相続人であったように、イエス・キリストを信じる者が世界の相続人となるということ。それはどこから始まったか。創世記17:3-5、17:11参照。99歳の時にアブラハムは多くの国の父となると約束され、神様がイスラエル民族とアブラハム契約を結んだ。この流れをまず知っておいて頂きたい。■〈17-22節〉アブラハムは信じたゆえに義とされた。アブラハムが100歳になってサラも妊娠することができないと分かっていても信じた。今日は義という部分と共に、信仰という部分に関してお話したい。アブラハムの信仰とは何か。信仰には2種類ある。マタイ17:19―20に「薄い信仰」と「からし種の信仰」というのが出てくる。私は昔、薄い信仰が成長したらからし種の信仰に変わると思っていた。しかし薄い信仰の対比は厚い信仰。マタイ8:26でイエス様は向こう岸に行こうと弟子たちに約束した。船を漕ぎだして嵐になった。怖くなって助けて下さいと叫んだ弟子たちに、イエス様は「なぜこわがるのか。信仰の薄い者たちだ」と言われた。アブラハムが持っていた信仰は、自分もサラも年老いてもう子供を産むことは無理だと思っても神様の言葉は成ると信じた。つまり、状況があり得なかったとしても、神がこう語ったから成ると信じた。からし種のようにどんなに小さな信仰でも、受けたと信じるときそれが成っていく。■〈22-25節〉私たちは、アブラハムの信仰を神様によって受け、用いることができる。私達が神様の義を受けるためにイエス様の十字架があり、神の言葉を信じることを導くために、神様がイエス様をよみがえらせた。ただ前もって言っておきたい。何でもかんでも信じたらそのようになるのではない。神様が語られた言葉を受け取って信じたら成る。日本に鰯の頭も信心からという言葉がある。違うものを信じてはだめ。神の言葉を信じる。確認し吟味する。祈る。交わる。み言葉を読む。このことを通して私たちは神様の言葉を受けていく。私は受けれられないという人がいるなら、こう祈ることをお勧めする。「神様、私が正しく神様の言を受け取ることができるように神様が導いてください」。受けたと信じる信仰とは、私たちの力でするのではない。聖霊様によってさせて頂く。それゆえ吟味が必要。本当に神が語られているのか。ここがカギとなる。受けたと信じる信仰を通して、私たちは神の奇跡を見ていくことを覚え頂きたい。(文責 フィベ知念)