8th STEP ママの資格 

 左:長男3歳、長女6ヶ月 右:シーパラダイス  

 忘れられない場面があります。

 私が運転していて、助手席にはベビーシート。後ろに乗った長男。
 何がきっかけだったかもう忘れてしまった。私はとても怒っていました。長男を怒鳴りつけて、泣きながらあやまる長男。…私のことばは止められなかった。どんどんと長男を追い詰めるキツイ言葉。長男は、泣きながら言いました。

 「やさしいママに戻ってよー…」

 私は、幼い子どもにそんなことを言わせてしまう、本当に本当に未熟者です。

 どうにか時間がたって、私が落ち着けて、子どもの寝顔でも見ながら、いつも後悔でした。今日、私がこの子につけた傷を、どうか神さま、いやしてください。私をゆるしてください…。寝顔にほっぺたをつけて、この子の夢にはいっていけるものなら…、とよく思いました。

 長男が大きくなり、保育園、幼稚園、そして小学校に上がるとき、障害児ゆえに必ず特別な面接を受けました。
 そのたびに不思議なことがあるのです。

 面接をしてくださる役所の人、幼稚園の先生、小学校の校長先生、教育委員会の人、みんなに同じことを言われました。
 「この子は障害があるのに、本当にのびのび育っていますね。上手に育てられましたね」

 えっ!? …のびのび? そりゃあ、落ち着きのない子です。好奇心の塊で、あっちこっちと歩き回り、誰に対してもものおじをすることもなく、ずうずうしいまでになついて、私の制止も聞かず、勝手にお友達になってしまう長男です。そういうのを「のびのび」とは、勝手にそう育ったのに「上手に育てた」とは、まさに恐縮、その一言です…!

 ま、きっと、時間をかけて付き合えば、私のしつけのなさが露呈するのでしょうが、初対面の人にはよくそう言われるのです。

 このミステリーの答えは、一つしかありません。
 この子は神さまに育てられている、まさにそれでだとしか思えないのです。

 「1st STEP」 でも紹介したとおり、私は子どもの「献児式」(子どもを神さまにささげおゆだねする式)のとき、私の母親としての未熟さも母親としての資質(あろうとなかろうと)もささげて、責任をとってもらうことにしました。

 「神さま、あなたが私に子どもを与えたのですから、私のこれからしてしまう失敗も含めて、どうぞ責任もって助けてください!」…虫のいい話しですが、神さまは私の天のおとうさま。保護者ですもの、責任は神さまにあるっ!! とばかり、そう祈ったのです。

 人間的に言うなら、「やさしいママに戻って!」なんて小さな子どもに言わせる私は、親としての資格がないのかもしれません。そう判断されてもおかしくないほど、「虐待」という言葉がよぎるほど、私は心の弱い母親でした。

 でも、親としての資格って? 包容力があること? しつけが上手なこと? …子どもに八つ当たりする傷がない心を持っていること?

 私はそうは思いません。

 親としての資格、それは親になったときに、もう「ある」のだと思うのです。

 自分の痛みばかり気にして、未熟児の長男を始めて手術室で見たとき、でももう私はそのときママの免許をもらいました。
 ただ、「初心者マーク」の、まだ研修期間中のママとして。

 包容力も、しつけのテクニックも、優しく傷のない心も、欲しいです。そういうママになりたい。…赤子を抱いたとき、私がそうであればよかったと思います。でも、今からでもきっとなれる。…神さまが私も、育ててくれるから。

 さいわい、私の祈りは聞かれているようです。

 失敗ばかりの私ですが、子ども達は神さまの保護・監督のもと、私の知らないところでたくましくなっていっています。

 あたふたしながらも、私も、すこし成長した!? …と思います。