5th STEP 差別と感謝 

左:年中組みの遠足 右:この装具でイスラエルにも行きました。  

 程度は軽いものの、身障者の親…。

 はっきり言ってあんまり自覚はないし、辛いとも思っていませんでした。
 しかし、社会はキビシイ!のです。

 長男が3歳になって、保育園を探しました。

 当時住んでいた横浜は保育園激戦区。とにかく待機児童が多く、並大抵では入れないのです。特に1歳になった長女もいるので、余計大変でした。

 探して探して、隣の区に1つ有力なところを見つけました。電話をして、見学と長男の様子を見てもらいに行こうと思いました。ところが、電話先に出られた園長さんは、長男が障害で装具をつけていると聞くとこうおっしゃられたのです。

 「見学したいなら、道路からどうぞ。話すことは別にありませんので」

 ビックリしました。初めて社会のかぜの厳しさを知った出来事でした。

 「感謝」を教会で学んでいました。
 すべてのこと、良いことも悪いこともすべてを感謝するなら、神がそのすべてを益に変えてくださる。恥ずかしながら、それを語る立場でもあったのです。でも、私はこの出来事を心から感謝できませんでした(口では言っていましたが)。

 正当なはずだと自分に言い聞かせ、区役所に訴えました。区の担当の方は、「内部見学はどなたでもできるはずです。すみません…」と差別的な対応に恐縮されていました。

 結局、このことがあったため、区役所の方は私たちに懇意にしてくださり、兄妹別々でしたが、その年の内に入れたのです。

 でも、区役所で訴えた後、なぜかとても後ろめたかったのです。

 別にスジとしてはおかしくないものだったと思います。でも、心の中、聖霊さまは別の方法を語っておられたような気がして、すっきりはしませんでした。

 私は感謝が大変な訓練のように感じていました。
 誰に対しても、「こう訴えて(文句言って)当たり前」という気持ちにすぐなってしまうのです。不良品があれば文句言って当たり前、誤解されれば声高にでも弁解して当たり前、それは全部私にとって「当然の権利」なのだと思っていたのです。

 でも、イエスさまはどうだったか、聖書を読むと違うのです。

 何一つ罪を犯されなかった主は、いろんな罪状で訴えられ、投獄され、十字架にまでもつけられたのです。
 「殺せ!」というシュプレヒコールに、何一つ弁解せずに。「父よ、み手にゆだねます」、ただそう祈られただけでした。

 あるとき、神さまに語られた気がしました。
 「あなたのその『当然の権利』を差し出すことが、感謝です」と。

 誰に対しても、家族に対しても、何に対しても。その私が当然と思っている「訴え」を、すべて感謝に変えて、神にささげよと。

 私にとって、子育てとは、その「当然の権利」を差し出す訓練の連続です。
 特に長男はやまいという面でも、そして性格という面でも、私をとにかくよく鍛えてくれる存在なのです!!(いつもクラスの問題児なのです…、感謝、感謝!)

 はじめは、「すべてを感謝」とは信仰的に益であっても、なんて人間的には「損」なものか、と思っていました(すぐ損得勘定に走る私の悪い癖…)。でも子育ての中で思います。

 すべてを感謝できたなら、私はきっともっと平安でいられるのだろう、もっともっと神の守りと祝福を目の当たりにする人生となるだろう、そういう考えにかわってきました。

 十字架の上のキリストを思います。キリストに注がれた御父の愛を思うのです。キリストがすべてをゆだねて十字架にかかってくださったことが、最大の勝利であり、キリストの最も偉大なるわざでした。そうならば、訴えて何かを強引に変えるより、感謝していくことが、私にとっても「最大の勝利」なのでは…と。

 今も訓練中です。

 感謝が「厳しい訓練」であった段階から、やっと「私のそうなりたい願い」へと変わってきました。文句を一通り言ってから、やっとおもむろに感謝に切り替えていた段階から、文句のいくつかは言ってしまう前に(いくつかは言ってしまってるけど)「まてよ、ここが選択…?」と思い直し、感謝に切り替えられるようになってきた(んではないかなー)と思います。

 そして、すこしずつ、感謝した後、不思議なくらいゆるせるようになったり、優しい気持ちになれたり…と、感謝の祝福を体験しつつあります。「マーリンさん」(すばらしい感謝の伝道者です!)には程遠いかもしれないけど、語学だってすぐにぺらぺらにならないんだから、訓練、訓練!

 さいわい、3人の子どもはせっせと「教材」を私に運んでくれますから…!