4th STEP 楽しいリハビリライフ 

 左:妹と 右:右足が常につっぱっている  

 長男の通院は続き、脳と運動機能の監視が続きました。

 彼が2歳半の冬、長女が生まれました。その1ヶ月ぐらいあと、彼の右足に急激な変化がおきたのです。
 右足首が爪先立ちのように伸びたままの形になり、足首を曲げるのに、手でおしてあげなければならない状態になっていたのです。歩くときもぴょこたんと、右足だけつま先で歩いていました。
 脳外科にかかっていた子ども障害専門の病院に連絡して診てもらいました。その日、私は乳腺炎だったので、主人が長男とともに行きました。

 帰りがひどく遅かったのです。

 午前が診察受付だったにもかかわらず、帰ってきたのは午後遅く。帰るなり主人が言ったのです。
 「脊椎腫瘍の疑いがあるそうだ。来週緊急入院してMRI検査をする」

 ビックリしたのは言うまでもありません。長男の曲がりにくい右足首を曲げたり伸ばしたりしながら、祈りました。腫瘍というのは、一種のガンのようなもので、子どもの場合は進行が早く、一刻を争うと言うことです。症状として、急激な運動機能の緊張があり、特に足に出るそうです。

 しかしこれはあんまり非現実的で、実は「かなしい」という気持ちにすらなりませんでした(本当のところです!)。そんなはずがない、と意味もなく確信していたのです。神さまの守りだった、と思います。

 一週間後の1日入院には私が付き添いました。
 眠らせる点滴のときはひどく暴れましたが、あとはすやすや寝ているうちにMRIとなりました。そこはいつも検査が込み合っていて、MRIもCTも予約は半年先もいっぱいなのですが、最優先でとってもらいました。気楽に構えているのは親だけで、お医者さんたちはかなりあわてていたようです。

 しかし、検査の結果、やはりどこにも腫瘍はなくその後長男は整形外科を紹介され、「脳性マヒによる四肢マヒ(特に右足下肢)」という病名をいただきました。

 そして、それから長く続く長男の「リハビリライフ」が始まりました。

 1週間に1回。私たちはそれをいつも私たちの休日「木曜日」に当てて、午前中、家族総出でリハビリに行って、それからどこかへ遊びに行く、こういうパターンが定着しました。リハビリ、というか、赤ちゃんの長女ともども遊んでもらいに行っていた、という感じでした。長男はとてもそこに行くのを喜んでいました。

 通い始めてすぐ、彼の足には補助装具がつけられ、「身体障害者4級」の認定をもらいます。
 その手帳を始めて手渡されたとき、少し涙が出ました。でも、それ以外、この子が特別になってしまったと意識したことは一度もありませんでした。

 神さまが守ってくれました。0歳の長女が加わって、家族もにぎやかで、悩む暇もなかったし、なにより、長男はとても明るいのです。装具をつけた足で、どこへでも走っていき、誰とでも友達になりました。通い始めた保育園でも、「この子は自分を省みずに冒険をしすぎます!」と言われるくらいでした。

 足のことを聞かれたら、長男はこう答えていました。「病気なんだ。でも神さまがね、治してくれるんだ」

 幼子の単純な信仰に、私のほうが支えられていたのかもしれません。