2nd STEP  産みの苦しみ

 長男新生児の頃   

 私の体質は、どうも出産には向いていないようです。

 まず、子宮が双頚双角子宮といって、普通の半分の大きさのものが2つくっついたような形をしているます。つまり、子宮壁の伸びが悪く、赤ちゃんが大きくなれない形なのです。それから体質的に妊娠中毒症になりやすいこと。3人目の出産の後、主治医に言われました。「4人目はあなたの命があぶないですよ」

 こういう状態なので、3人とも8ヶ月頃から陣痛が起き→ それを点滴などでとめつつ→ 長期入院の末→ 緊急帝王切開、というパターンをとりました。

 長期入院が大変でした。とくに、1人目の時は最も長い3ヶ月の入院となりました。
 その間ずっと24時間点滴で、入浴も1度もさせてもらえないのに、退屈(!)。点滴の針はよくもって2日、そのうち両腕とも血管がはれ上がり、首下の静脈に直接管を通す「IVH」というものになってしまいました。(首輪つきのペット状態というかんじです…)。
 クスリも副作用のきついものでした。体質によりますが、私は副作用が強く出るみたいで、薬(ウテメリン)を少し強くすると常に脈拍が120をこえ、手が震え、何度も食事のお盆を落としてしまいました。

 同室の人たちの話し声、面会時間も無視した面会の人たち、プライバシーの一切ない病室が苦手でした。「子どものために1日でも長く出産を遅らせる」、そんなことわかっていても、ホンネは早く解放されたい、と願っていたのです。

 ベッドの上でのみ過ごすように、手洗いも食事もベッド上で、という主治医からの「命令」が出たときには、まいりました。せめて誰の声もしない、静かなところにいきたい、一人になりたい、神さま助けて、と祈っていました。

 「1日でいいから、神さま」と祈ったある日、ばたばたと同室の2人がお産や退院となり、急に一人になったのです。神さまの御手を感じました。家族を含めて全員が「赤ちゃんのために」という。私は我慢して当然、そういう状況の中で、神さまは私の事を気にかけてくださっている…、心が息を吹き返したようでした。

 いよいよ陣痛が止まらず、緊急帝王切開が主治医から告げられたとき、正直なところ、ほっとしたのです。これでやっと解放される、なんて。
 しかし、次の瞬間、はっとして涙が出ていました。赤ちゃんに、ごめんね、もうちょっとがんばればよかった、私のせいだ、と。本当にこの子のために最善をつくしたのだろうか。感謝って口で言っていたけれど、口だけだったんだ。神さま、ごめんなさい、この子を守ってください、我慢の足りない私のせいで、この子はこんなに早く生まれてしまうから。

 そのとき、主人をはじめ、多くのクリスチャン達の祈りの手が熱心に上げられていました。私と赤ちゃんは、その祈りと祈りに答えてくださった神さまの助けによって、支えられたのです。

 確かな助けでした。

 赤ちゃんは生死の境を3日ほどふらふらしましたが、奇跡的に後遺症無しで回復していきました。神さまの助けといやしでした。そして、入院が長く体力の落ちていた私は術後の回復にすこしてこずりましたが、中毒症の症状も投薬なく改善され、普通に退院できました。

 手術直後、一瞬だけわが子の姿を見て、頬に触れることができました。かすかに少しだけ泣いていました。かわいくて、いとしくて、その姿を見たら、「私のせい」だなんて、傲慢だな…と思えたのです。私もこの子も、主の御手の中にあったのに。

 神さまはもっと自分のために祈るように、と導いてくれた気がしました。この子を育てなくてはならないのだから、それに主人も3ヶ月も独身生活させられていたのだから、それに、なにはともあれ、私もエラく痛い目にあってきたのだから! …神さまが私が元気でいることを望んでくれいているのではないか…。長い入院の終わりの1、2週間で、やっとやっと、前向きになれました。

 聖書に「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛するように」という神さまの命令があります。
 自分を大事にすること、自分が愛されているという実感、そういうところから、確認が必要な、未熟なママとしての第一歩でした。