17th STEP  小さな小さなBABY

 左;顔は大人のこぶしと同じ大きさ 右;保育器の中   

 次女がお腹にいるとき、7ヶ月を過ぎると主治医に「いつ入院できますか? 来週? その次?」と毎回入院のお誘いがありました(!)。上ふたりが早産で長期入院で妊娠中毒症で…となると、やはり主治医もさっさと監視下に置きたい、そういう感じでした。

 しかしなにせ子供2人の世話があるし、「いやー、あの、もうちょっとしたら…」と引き伸ばしていましたが、あるとき「2週間後の入院予約して帰ってね(「ね」にアクセント有)」と言われて入院が始まりました。

 入院中は早産防止の「薬漬け」状態でがんばるも、次女は9ヶ月に入ったばかりのある日、緊急帝王切開で生まれることとなりました。

 「術中、何かあったときのためにご家族にいていただきますので、ご主人に連絡します。来られるまでお待ちください」
 とか何とか言っていたのに、「…あ、もう手術室が早く来てほしいとのことですので、もう行きます」

 …これでいいのか、誰にも見送られず私はひとり手術室へ。何かあったらどうするんだろう…。
 主人が到着したまさにそのとき、生まれたばかりの次女が保育器で運ばれていくところでした。

 体重1586グラム、身長37センチ。平均が3000グラムの50センチだから本当におチビ。誕生すぐにNICU(新生児集中治療室)保育器へ。口の端に絆創膏で貼り付けられた呼吸器とセンサーだらけの体。鼻には栄養管。オムツは新生児用よりもっともっと小さい未熟児用、それもぶかぶか。

 次女に出産後の初めての対面は2日目で、点滴の棒を杖のようにしてよたよたと会いに行きました。

 保育器の中で眠るその子は、3人の中で一番元気のない子でした。
 がりがりの体を白いタオルにべたっとつけたきりで、いつもじっと目を閉じたきりでした。保育器に手を入れてなでても、ちらっと目を開けるだけで微動だにしませんでした。肺水腫というほどでなくても体に水がたまっていて、そのむくみゆえに呼吸が安定しません。水を落とす薬でみるみる体重は落ちて、7日目には1200グラム台後半に突入していました。

 毎日、面会は1時間の間だけ。
 冷凍した母乳を持ってできるだけ毎日行きたいのだけれど、面会時間はちょうど長女のお迎えの時間。午前中、長男の病院に往復1時間半かけて行って、長女を早めにお迎えして、自転車で次女の病院へ。長女をひとり病院の廊下に残したままだから、次女のそばにそんなに長くいることもできませんでした。

 3人の子供たちが、3ヵ所に分かれていて、それぞれのためにそれぞれが、がまんしながらの入院期間。
 そういう忙しくちょっと大変な中で、小さいけれど、ちょっと元気がないけれど、次女の姿は私たち家族への一番の励まし、なぐさめでした。

 胎の実は報酬、赤ん坊は神さまからのプレゼント。
 ガラス越しであっても、次女を見るお姉ちゃんはとてもうれしそうだったし、長男も面会のときに見せる次女のデジカメ写真をとても喜びました。

 私もこの小さな赤ん坊の成長はこの上ない励ましでした。

 約1ヶ月かけて、次女の体重はやっと生まれたときの1500グラム台に戻りました。
 生後2ヶ月を越えた頃にやっと高濃度酸素は通常の空気になり、それから半月して保育器からコットに移れたのです。

 私の子供たちはみな、息をすることから誰かの助けが必要で、訓練させてもらう必要のある子どもたちでした。
 普通なら、はじめの産声でもうできてしまう呼吸すら。

 私も父なる神さまにとって、手のかかる子供なんだろうな。…なんか子供の歩みを見ていてそう思います。でも私は子供たちが私を煩わせたなんて思うはずもなく、迷惑をかけられたなんて思っていない(当たり前)。

 ムシのいい連想ですが、だからきっと、天の父なる神さまも、私の遅々とした歩みを迷惑なんて思っていないはずだ! …と。できの悪い子ほど、手のかかる子ほどかわいいっていうじゃあないですか! 絶対、そうに決まっています!

 次女、現在1歳4ヶ月。まだオムツはMサイズ。体重はまだ8キロで90パーセントグラフからかろうじて外れているくらい。やっとはじめの一歩が出そう? な感じ。…ゆっくりでいいよ。手をかけられるのも楽しいんだから、ゆっくり、じっくり、大きくなってね。