14th STEP 僕はどうしてこんなに弱虫なんだろう… 【前編】
手術直前と直後
長男が幼稚園の年長になる頃には、もう、装具も足に入らないほど、麻痺の状態はきつくなっていました。
曲がらない足に入る靴はほとんどなく、マジックテープが2つ以上付いた、きつく足に縛りつけられる靴を探して、やっとそれで歩いていました。
お医者さんには小学校に入る前に、「アキレス腱延長手術」というのを受けるように言われていました。
この手術は、アキレス腱を手術で切り、足を無理やり直角にしてそのままギプスで固定するのです。そうすればアキレス腱はそのうち伸びた形でつながるのです。これでふくらはぎの短くなってしまった筋を伸ばすのです。
手術には3ヶ月の入院が必要だと言われていました。
小学校に入ってからそれをするのは勉強の面からも無理なので、年長組の11月末に行なうことになりました。
入院の1週間前、初めての自転車を買ってもらいました。おばあちゃんのプレゼントでした。
うれしくて練習! と飛び出すのだけれど、突っ張った足はペダルの上からすべってばかりで、乗っかりませんでした。「手術したら、きっとこげるようになるよ」と言うと、「ほんとう?」とうれしそうに笑いました。
入院当日。
手術は入院して3日目。それから約5日間、私が付き添い入院をします。
生まれたばかりでまだNICU(新生児集中治療室)に次女がいました。家では長女とパパの2人きりで過ごします。
入院すると、目の前のベッドに長男と同じ年で、同じ病気で、同じ足で、同じ個所を、同じ日に手術する男の子がお母さんと入院していました。
神さまの配慮を感じました。
私が付き添い期間を終えると、彼は1人で入院生活をおくるのです。
…友達が備えられたことは最善でした。このあと長男の入院生活の大きな支えとなるのです。
手術の前日、長男と一緒に病院近くのパン屋さんへ買い物に行きました。
手を引いて歩きながら、涙がこぼれて、長男に見せないようにがんばりました。せつなくてやりきれない。なぜ、この子なんだろう。私の手術なら何てことない。痛くったってかまわない。なぜこの子なのですか…。
次の日を迎えました。
朝からパパも長女も駆けつけて、長男を励まします。手術着に着替えて、呼ばれるのを待ちます。
…そして、長男は移動ベッドに乗せられて、手術室へ入っていきました。
「行ってくるねー」と笑いながら。
手術自体は簡単なものなので短く、2時間で呼ばれました。
手術室前に着き、出てくるのを待っているとき、中から悲鳴のような泣き声が聞こえました。医師や看護士さんに付き添われた長男は、麻酔が切れかけた朦朧とした状態で、汗だくになりながらからだをよじって叫んでいました。
「痛いー! 靴ぬがしてー! もうやめてー!」
長男の足には太ももから足先までのギプスで覆われていました。それを長男は朦朧とした意識の中で、靴と思ったのでしょう。
小児の手術は酷だと思いました。
全身麻酔をせず、吸気ガスの麻酔のみなのだそうです(ガスの供給を切るとすぐに意識が戻るのです)。しかし痛み止めは座薬だけ。私は3度も帝王切開をしていますから、術後の痛みの強烈なことをよく知っています。長男はその上、切った個所を伸ばすようにして固められているのですから、それはつらいものだったと思います。
術後2日くらいは、ずっと泣いていました。
夜中も痛みで眠れないから、目もはれてかわいそうな顔になっていました。
…それでも私が家に帰る日が近づきます。長男は「あと何日?」と聞いてはまた泣くのです。
私は、神さまに従って歩んできたつもりでした。
あるとき、学びを指導してくれていた先輩クリスチャンから言われたのです。どんなことがあっても、いつもと同じように神の言葉をとらえ、従って語っていかなければプロとはいえない、と。
それがどんなにつらいことでも子供のことで身を切られるようであっても、従って行く、それがプロだ、と。
わかっているようで、わかっていなかったのです。
教会という、魂を預けられた神さまの御体なる場所での、与えられた働きの重さを。そのときの私は、召しの上にしっかりと立つ者のみが与えられる神の強さを失っていました。前を見ることもせず、後ろだけを見て、…だから私は子供と一緒に泣いたのです。
笑って、「大丈夫。神さまがいるし、パパとママが祈るから」
そう確信を持って語ってあげられたら、どんなにか神さまの力が子供を守ったか。
その力を信じて、子育てを始めたのではなかったのか。…嵐の中で、船を下りたのは、私のほうだった。乗り続けていさえすれば、もっと力強い御手が、私たちを守ってくれたはずなのに。
私の、信仰生活始まって以来の、苦しい試みのときでした。