13th STEP 何度でもやりなおせる
幼稚園での行事に参加しました!
恥ずかしい話しですが、私はとてもそそっかしく、注意散漫な子供でした(だから本当は子供のことなんて叱れないのですが、大人になるとそんなこと棚に上げてしまうんですね…)。
学校に行くようになってからも、ワスレモノチャンピオンと言われていました。宿題もそこそこにしかやっていかず、本当にいい加減だったのです。
でも、言い訳のようですが、私の親はとても忙しかったのです。
私の宿題をチェックするような時間的余裕はありませんでした。持ち物も自己申告をしないと用意されないような、いい意味だと信用されている、考えようによれば少しほったらかされて育ちました(親を責めているわけではありません。大事に育ててもらったし、大きくなったらこれが居心地が良かったのも確かですし!)おかげで私のいい加減な性格そのまま大きくなりました。
子供を保育園、幼稚園、そして小学校に送り出すというのは、本当に面倒で複雑で大変なのです。
長男・長女が別の保育園に通っている頃は、持ち物の用意は困難を極めました。長男は「中央に紐のついたハンドタオル2枚」と、名前とマークを書いたビニール袋と、着替えと、パジャマ、アルミのお弁当箱にご飯を詰めて、コップと歯ブラシは専用袋に入れて…となっているのに、長女は「端に紐のついたフェイスタオル」1枚と、マジックテープをつけたよだれかけ3枚、オムツ用ビニール袋と着替えと…というふうな感じです。
3人になった今は、やはり大変。
しかし、私はフダ付きの「そそっかしい」主婦なのです。失敗は数知れず、写真申込みの日を間違えたり、集金日を忘れたり、体操服を洗い忘れていたり、行事を前日にやっと思い出して用意が間に合わなくなったりと、子供に迷惑をかけたことも1度や2度にとどまりません。
本当に落ち込みます。
失敗を活かせないことにも自分で自分がいらいらするのです。
あるとき子供の幼稚園のことで、たくさんお友達に迷惑をかけました。
子供の病気もあり、先生にも友達のお母さん達にもすべておんぶに抱っこでした。その上仕事の段取りがうまくできず長女が友達と遊びたいという約束も果たせなくて、たくさん泣かせてしまいました。落ち込みました。
幼稚園に長女を送ったあと、果物屋の前を通りました。ラジオがながれていました。そのラジオが突然こういうのです。「神さまはすべてを無駄にはせず、益とされる…」
…びっくりでした。
普通のラジオから、それも一瞬しかそれを聞かないはずの通りすがりの私のために、神さまが語っている…。
でも悔い改めても、悔い改めても、自分がゆるせない。…そんな中で聖書を読んでいると、ある言葉が私の目に飛び込んできました。「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」
神さまが私に言っている、失敗だらけの、どうしようもなく使えない私に、もう一度進もう、と。
聖書の中に、姦淫の女が捕まえられてイエスさまの前に突き出されるシーンがあります。そのとき、イエスさまはその女にこう言うのです。
「私はあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてもう罪を犯してはならない」
これがずっと不思議でした。
私がこの女なら、「もう罪を犯すな」と言われても、自分が変わらない限りまた同じことをしてしまうのではないか。私なら、それが不安で進めないだろう…。
でも、この言葉が心に入ってきたとき、不思議に私はこれでもう一度進めるんだ、そう思えたのです。聖書の言葉の力です。
大丈夫。もう私は大丈夫、そう言われたから。…理由もなく。姦淫の女も、そう思ったのかもしれない…。
それから子供の準備の失敗はなくなったか!? というと、確かに良くはなりましたが実はやはり時々やるのです。日曜の夜、あわてて給食着を洗うことの何度あることか(笑)。でも落ち込むことも減ってきました(少しは落ち込みますが…)。
失敗が表に出てきたのは、それが主にあって変えられるため。そしてそこから神さまの栄光を見るため。…全ては無駄なことではない…!
度重なるピンチのせいか、最近、長男がしっかりしてきました。
「明日、体育あるよ。服ね、ちゃんとねー。」
これも益…。
うれしい反面、ちょっと複雑な心境です…。