10th STEP おせち料理の思い出
左:釧路湿原の初日の出 右:納沙布岬
結婚して初めてのお正月は、北海道で迎えました。
初めてなので、一生懸命おせち料理も作りました。新品の小さな3段のお重に料理をつめて、元旦礼拝の後、主人とふたりでそれをあけました。…あけたときの、あの『気持ち』はとても忘れることができません。
私たちの始めての赤ちゃんは、暮れを迎える前の11月、お腹の中で亡くなました。6ヶ月半ばを過ぎており、560グラムの小さな男の子は、父母に抱かれることもなく、天に帰りました。
初めてのお正月は、にぎやかだぞー、そう話していたことを、おせち料理を空けた瞬間思い出したのです。
たった6ヶ月の赤ん坊は、神さまから「恵(めぐみ)」という名前をもらいました。
ずっと、私が考えていたのは、恵くんの生涯の意味でした。人はそれぞれ、意味があって神さまによって作られている、そして、神さまの召しを果たすように、導かれていく…。ならば、恵くんの生涯の意味は? あの子の召しはなんだったのか…。
あるとき、語られました。
私たちの家族の初穂、初めての胎の実(たいのみ:聖書で赤ちゃんのこと)が、天にささげられたのは、私たちの原点、私たちの本当の故郷、それが「天国」であることを、はっきりと知るためだと。
私たちは、永遠の天の御国の住人、やがて恵くんの帰った天に、私たちも帰る。…パパ、ママ、弟、妹たちへ、それを忘れないでというメッセージをこの世で私たちに告げて、そしてその「おしごと」を終えた彼は、天に帰ったのだと。
甘えん坊の長男は、今でも時々「恵(めぐみ)にいちゃん」の話を聞きたがります。
そして、顔を見たことないから、天国へ行ったとき、だれが恵にいちゃんかわかるかなー? と心配するのです。
大丈夫、天国に行ったときはきっと教えられなくてもわかるはずだと思うよ、地上で家族だったんだから、と話すのです。
長女は幼稚園で「おにいちゃんはふたりいるんだよ」と話したそうです。私は、自分の歩みをみて、まだ、恵くんもいるイエスさまのところには顔を出せないなー、もうちょっとちゃんとやらなきゃなー、いつもそう思わされるのです。
残念ながら、おせち料理は長女誕生の年から作らなくなりました。
…お金がかかるわりに、だれもありがたがって食べてくれないからです。