このチームは、日本からと、スイスから兄弟が1人、
アメリカの宣教師をしていた夫妻が次の宣教地の確認を求めて参加しておられました。

私たちは何台かの車に乗って、ビストリッツァからイリエ・コロアマさんが生まれた
ラダウッという町に移動しました。一日中、車に乗って行くのですが、
イリエさんは高速道路ではない道路をすごいスピードで走り追い越しをかけて行くので、
正面衝突しそうになるのですが、守られて無事にラダウッに到着しました。

チームは、この町で三日間、ストリート・ミーティングという伝道会をしました。

日本チームが賛美して、イリエさんやパウロ秋元牧師がメッセージを語り、
救いの招きをして祈る時をもったり又、いやしを求める人々のために祈ったりしました。

毎日、100名以上の人々が集まりました。

いよいよ三日目、日本チームが賛美していると、黒雲が出て来て、
あっという間に広がり大雨が降ってきました。
みな、うしろにあったスーパーの入口の屋根下に避難しました。
たくさんの人々も一緒に避難したので、イリエさんが色々語っておられました。

秋元牧師が「日本のチームの賛美がそれまでで一番良かったのに残念だったね!」と
話しておられました。

サタンはリアルに妨害をしてきたのですが、次の聖日礼拝には多くの人々が礼拝に参加して来ました。
そして、一緒に礼拝をささげることになったのです。私は、その中で「あかし」をさせて頂きました。
会場は映画館を借りた所で少しうす暗くて、私はあまり見えなかったのですが、
あかしを聞いていて、泣いていた人たちがいたと聞かされました。
私は迫害の時を思い出して泣いたのかなと思いました。

でも、神さまの愛と真実に涙を流されたのだろうか・・・?
遠い国の日本にルーマニアの教会のために祈り、ルーマニアに行きたいと願っていた姉妹が、
20年経ってルーマニアにやって来たという事に感動して涙を流されたのだろうか・・・?

ルーマニアを神様があわれんで下さり、共産主義の通してのひどい迫害から解放して下さって
信仰の自由を与えて下さった、これは、すばらしい神のみ業だと思う。
 
連載5へ

デボラの海外宣教の思い出
<連載4>

連載5へ