マーシーのどたばた信仰日記
                                         NO.20

17年目に知る神の奇蹟

  私の長男は、生後7日目の退院の日の朝の検診で、心臓に雑音があると言われました。

生後3ヶ月の検診で、心臓に穴が開いている事が分り、生後6ヶ月の精密検査で、心室に大きな穴が一つ、心房に小さな穴が二つ開いている事が分り、心室、心房中隔欠損と診断され、「心室と心房の両方に穴が開いているので重症です。」と言われました。

しかし、体重も身長も順調に増えていたので、薬を飲む事もなく、ただ、手術の順番を待つ日々が続きました.。
 
そのころ主の十字架クリスチャンセンター佐世保教会がスタートしたので、わらにもすがる思いで教会に行き、牧師をはじめ教会の方々にお祈りして頂きました。

「私達もお祈りしますが、お母さんも毎日息子さんの胸に手を置いて、癒されるようにお祈りしてください。」と牧師に言われ、救われて間もない私も、息子の癒しのために毎日お祈りしました。
 
 やがて息子が1歳になった時、手術を受けました。

病院の先生から「心房の穴はふさがることもあるので、心房の穴だけなら手術をしないで数年様子を見ますが、心室の穴はふさがらないし、心房の穴は半年くらいではふさがらないので、今回両方の穴をふさぎます。」と説明を受けていました。

しかし、手術後、執刀医の先生から「心房には穴はみつかりませんでした。」と聞かされ、主をほめたたえました!
 
心房の二つの穴は癒され、心室の穴一つだけになっていたのです。
手術後は心室中隔欠損と病名が書き換えられていました。

親心としては神に不可能はないのに、どうして全部癒してくださらなかったのだろうかと思いましたが、神様は最善しかなさらないと信じ感謝しました。

3歳の時に完治したと診断されましたが、毎年検診に行きました。小学校入学直前の検診は、安静時と運動直後をチェックされました。
 
先生が「お母さん、息子さんに何かやらせているでしょう?」「何かって?」「スイミングとかサッカーとか?」

私は息子の具合が良くないのかと青くなり、「とんでもない!何もやらせていません!どうかしたんですか?」と尋ねると「初めてランニングという負荷をかけて検査しているのに平気なので、もう少し負荷を掛けてみましたが全く問題ないので、何かスポーツをやっていると思いました!」と驚かれました。
 
ハレルヤ!主の癒しは完全!小、中、高校では運動部に所属し、今年、体育大学に入学しました。体育実技が必須なので、精密な検査に同意する旨の書類を提出しました。
 ある日、大学の健康管理センターから電話がありました。

「息子さんを診察された循環器の先生が、どうしてもお母さんに聞いて欲しいと言われるのでお電話しました。検査結果にすごく興味があられるらしいのです。通常心臓の穴は心室か心房のどちらかに開いている事が多いのですが?」

「いいえ。息子は両方に穴が開いていたので重症ですと言われました。私も赤ちゃんの時のエコーは毎回見せていただき説明を受けていました。」

「そうですか!もう一つお聞きしてもいいですか?息子さんの胸には確かに手術の痕があり、書類にも心室心房中隔欠損と書いてありますが、普通は手術した心臓をエコーでみると、必ず手術の傷とか痕が残っているのに、息子さんの心臓をエコーでどんなに調べても、どこにも傷も痕も見つからないのはどういうことでしょうか?」

「えー?本当ですか?」
「はい。それで先生も聞いてどうする訳ではないけれど、どうしても聞いて欲しいと言われるのでお電話しました。」
 
ハレルヤ!主をほめたたえます!心臓の専門の先生が不思議に思われ、わざわざセンターの方に頼んで一新入生の実家にまで電話をかけさせるなんて!
 
感謝します!息子の心臓手術は靴下に穴が開いた時に他の布をあてて穴の周りを縫うように、パッチと呼ばれる当て布ををあてて縫ってあるのですから!神様は、息子の心臓をまったく傷のない心臓に作り変えてくださったのです!
 
興奮を抑えながらどう説明をしたらいいのか思いを巡らしましたが、神様の事を語らずには説明がつきません。

それで、「おかしいと思われるかもしれませんが、私はクリスチャンで、教会のお祈りを通して神様が癒してくださったとしか言いようがありません。」と、息子が生まれてからの神様が善くしてくださった証しをしました。

「そうでしたか。そのように先生にお伝えします。」とその方は言われ、電話を終えました。
 
小さい時から男の子は上半身裸になる事が多く、私は息子の胸の傷が気になっていました。
「これ何?」と自分の胸の傷を指差す息子に、「イエス様はあなたのことが大好き!というしるしよ。」と言ってきましたが、残された一つの穴があったゆえに、
手術から17年目に神様の奇跡を知る事が出来ました。
 
すべての栄光をイエス・キリストにお帰しいたします。