この派遣も、いよいよ終わりに近づきました。
オーストリアの空港での待ち時間のとき、ミーティングがありました。
私はずっと疑問に思っていた事をパウロ秋元牧師にたずねました。
それは、秋元牧師がメッセージのたびごとに
デボラ姉妹の殉教のことについて語られたからです。
ザイオン教会のアレキサンダー牧師も辛そうにされていましたし、
イリエさんもドイツから来た牧師の方も辛そうにされていました。
パウロ秋元牧師は、神様に聞き従う器なのに、
どうして皆、思い出すたびに辛いのに言われていたのだろうと思ったのです。
秋元牧師はサラリとこう言われました。
「キチンと手術をしなければ治らない・・・。」と、
アレキサンダー牧師は神様がデボラさんを殉教者として召されたことを
受け入れることができないでいたと言われました。
私は神様が父なる神であることを思わされました。
たとえ、痛みがともなっても、
きちんといやされ建て上げられることを願っておられるのだと・・・。
この派遣を通して殉教という事について多くの事を学ばされました。
この派遣の中で賛美しつづけたのは
「シャイン・ジーザス・シャイン」という賛美でした。
「イエス様、この国をあなたの光をもって導いて下さい。」
という意味の賛美でした。
そして、私は日本へ帰って来ました。
・・・
それから、1994年、私は鹿児島へ夫と共に遣わされました。
日本に初めて福音が入った鹿児島の地です。
ここからまた、再び福音を携え、世界へ羽ばたきたいと願っています。
(完)
追伸 この思い出は、1993年の海外宣教の時のものです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
デボラ大内保子
<連載16> 最終回!