〜救いのあかし〜

写真 夫婦で一緒に。

私は、北海道で生まれ育ちました。
9歳の頃父が急性白血病で亡くなりました。
その時から人は死んだらどこえ行くのか生きる目的とか意義を求めはじめました。
そして真理を求めるようになってゆきました。


高校3年生の終わり頃、クリスチャンの姉妹との出会いがあり、
また、その頃読んだ本の中に「キリスト教の神、イコール完全であり愛である」と
書かれてあり、それは私が求めているものだと思い、
神様を信じようと決心して出かけました。


何度か礼拝に行きましたが、遠かったのと、
バス代がかかるので行けないでいました。

その教会はスイスから来られた宣教師が伝道していたのですが、
ある日、ダニエル君という男の子を脇にかかえて雪をこいでやって来ました。
(強風で道が消えてしまっていたのですが腰まで雪がある中、来られたのです。)


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その時、私と母との関係はとても悪く、
私は母の言葉に傷ついて
「私は神さまを信じたのにどうしてこんな事が起こるのだろう」と
神さまにうらみがましく思い、又、心を神さまにとざしていました。

ゾリンゲル宣教師は、私の家に来て母との関係が悪いので
「宣教師に連れてゆきたい。そこから高校に通うようにしては、どうか」と言われました。

(1月の頃、進路のことを話していたとき、
私がカトリックの教会が知恵遅れの子供たちのために作った
施設で働きたいと言ったとき、そういう施設で働くことも大切ですが、
子供たちに福音を伝えるほうがもっと大事ではありませんか?と言われ、
私は卒業後、宣教師館で奉仕しながら、教会学校の教師となることに決まっていました。)

それを聞いた母は「私の手には負えませんので連れて行ってください。」と言いました。
私は母が私を見捨てたんだと思うと、母に対する憎しみがわき上がって来ました。
(小学生の頃から祖母の家で生活していた私は、
家に帰って来ても素直に甘えることは出来ず、
反抗ばかりしていたので母は私に手をやいていました。)

母はやめるようにと言いましたが私は聞きませんでした。
険悪な雰囲気をさっしてゾリンゲル宣教師は、
私と二人だけで話をしようとしましたが、私はとてもごうまんな態度をとり、
机に腰かけて、外を見て話しをしようとはしませんでした。
そして、「宣教師館へは行かない。働くことはしない」と言いました。


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何といっても私に聞く耳がないことが分ると、ゾリンゲル宣教師は、私から離れました。
少したつと、何かへんな声が聞こえるので見ると、
ゾリンゲル宣教師は正座をしてめがねをはずし、
青い目を開いたまま、「お〜、イエスさま、お〜、イエスさま」と祈っていました。


その姿を見て、私はごうまんな態度を取り続けることができなくなりました。
そして「2週間の間、考える時間を下さるなら宣教師館へ行きます。
働くかどうかも考えさせてほしい」と言いました。
そして、私は宣教師館に連れてゆかれたのです。
宣教師館で私は「はい」と「いいえ」しか話しませんでした。
神さまにも人々にも心を閉ざし、どうしたら良いのだろうと考えました。
家にも帰れず、そこから逃げ出すにもお金はありませんでした。
どんどん日はすぎてゆき、
とうとうあと3日を残すだけと追いつめられてゆきました。


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もう学校へもゆけず、寝こんでしまいました。
私がトイレに行こうとすると、ゾリンゲル宣教師は、
出てきて「保子さん、苦しいでしょう。イエスさまを信じなさい。
そうすれば本当の喜びと平安が与えられますよ。」と言われました。
又、新約聖書に日本語で
「もし、あなたが信じるなら、あなたは、神の栄光を見る」
と書いて下さったりしました。

3日目の夜、私は、自分には、どうすることも出来ないのに
神さまに反抗している自分がおろかしく、こっけいに思えました。
神様に助けて下さいと言えば神様は全能のお方で助けて下さるのに、
私は何をしているのだろうと思いました。


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次の朝、私は、朝の祈り会に出て、涙ながらに悔い改めました。

「平気でうそを言ったり、ごうまんであったことをゆるして下さい。・・・。」
そして学校へ行きました。バスの中で、自分は、
イエスさまを信じたから天国へ行けると思いました。
そして、父のことを思い出されました。
父は、5人の子供と母を残して死ななければならないということを知ったとき、
どんなに辛かっただろうかと思いました。


そのとき、天の父なる神様の愛が、私の心に迫って来たのです。
神様の愛する一人子なる、イエスさまを十字架に身代わりとして、
殺し、私を救おうとされた父なる神さまの愛、
そして、十字架に命を捨てて死んで下さったイエスさまの愛が、
強く迫って来たとき、私は、ボロボロ涙を流して泣いていました。
となりのおばさんが「どうしたのですか」聞いた時、
私は父の気持が分ったのですと答えました。
その時私は神様の愛が分ったのでした。

その日、私は自分が生かされていると感じました。
心の中から喜びがわき上がってきました。
その朝は、雲一つない快青で、
まっ青な空と、新しく降つもた白銀の世界でした。

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2月の太陽は強く光り輝いていました。
木々のこずえから雪が落ちるとき太陽の光でキラキラと輝いていました。
その朝、私はイエス・キリストによって新しく生まれた自分を発見したのです。
踊り出したくなるような喜びと、大きな声で賛美したいという気持で一杯になったのです。
その日から、私の人生は、大きく変ったのです。
母に対する心の傷もいやされ、
母を受け入れる事が出来るように変えられていったのです。

神さまに心から感謝をささげます。                      


デボラ大内保子