一筋の光

私の娘は、表情に乏しい子でした。1、2歳になっても人にまったく関心を示さず(親にも)、
言葉も出ませんでした。
いつもひとりで遊んでいました。もしかしたら自閉症なのではという不安が私にはありました。
娘より後から生まれた子たちがどんどん成長していくのを見ながら、
「どうして私の子だけ?」というあせりと、
娘の将来を思い煩う毎日を暗い気持ちで過ごしていました。


そんなとき、長男の通う教会付属幼稚園に、
田原米子さんという手と足を失った方が招かれ講演してくださいました。
そして最後にこう言われました。


「子供は、神が与えてくださったものです。たとえ、どんな障害を持った子でも、
それは、あなたなら育てられると思って神があなたに与えられたのです。自信をもって育ててください」
 私は一筋の光を見た思いでした。

「私にはその神はわからない。
でも、その神がおられ、この子を私に与えられたのなら信じて育ててみよう」

娘を病院へ連れて行くと、「自閉症」と診断され、原因もわからず、治療法もないということでした。
しかしなぜか、私には平安がありました。そして、人づてに自閉児のための訓練をしているところが数ヵ所あることを聞き、
そこへ通い始めました。そんな中で、ある訓練士が「お母さんがたに、はっきり言っておきます。
自閉症が治ったというデータはいまのところありません。
私はみなさんに変な気休めや期待を持たせたくないのです」と言われました。


「私はあきらめない。たとえ99パーセントだめと言われても、親が望みを失ったらだれがこの子を育てるのだ。
私はたとえ1パーセントであっても望みを失いたくない」と、お腹の底から怒りにも似た感情が湧きあがってきました。

触れあいの中で

せめて幼稚園だけでも普通の子供たちとともに過ごさせたいと願っていた私は、
長男の通っていた幼稚園に娘を連れていき、自分の気持ちを正直に話したところ、
快く引き受けてくださいました。

入園当初の娘は人に名前を呼ばれても振り向きもせず、言葉もわからない、
自分の思いどおりいかないと泣き叫び、床をドンドンと踏みならしていました。
じっとしていられず、各クラスを自分の気分しだいで回っていました。
それでもクリスチャン教師の方々は、温かい心で見守り続けてくださいました。

子供たちも最初はとまどいながらも娘のできない所を手助けし、
何かできたとき「わあー、彩ちゃんができたー」とクラス中で喚声をあげ、
喜んでいました。娘はきっと体でその愛を感じ取っていったのだと思います。
訓練の場、幼稚園、教会の人々と、多くの人とのふれあいの中で娘は著しく成長していきました。


神様の深い愛


そして私も娘とともに教会へ行くうちに、御言葉に触れかえられていったのです。
ひとつの御言葉が私の心の中に深く入ってきました。

「またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。その両親ですか。』
イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親ですか。』
イエスは答えられた。
『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
神のわざがこの人に現れるためです』」(ヨハネ9章1-3節)


私は娘を盲人に置き換えたのです。神のわざがこの子に現れるためだと。
そしてなぜ自閉症の娘を私に与えられたのか神さまの深い愛がわかったのです。
娘を受け取れなかった私が心から「イエスさま、彩をありがとうございます」と受け取ることができ、
イエス・キリストを信じ、受洗しました。


 娘は小学校から高校へと普通の学校へ入学し卒業しました。
その間にもいじめの問題、反抗期といろいろありましたが、そのたびに神さまは私を支え、
御言葉を与え、乗り切る力をくださいました。娘も小学2年生のとき受洗しました。小学4年のとき担任に娘の病気のことを話しました。
すると「全くわかりませんでした」と言われました。
イエスさまは娘をいやしてくださっていたのです。

娘はいま24歳です。家族から離れ、
宮崎県の山や田畑のある自然の中で、
友人のお母さんの家に、友人2人と娘と
ゴールデン・レトリバーの5匹の犬とともに生活しています。
人に関心を示さなかった娘が、老人ホームなどに犬を連れて、
アニマルセラピーのボランティア活動を行っています。
私たち親子にイエスさまがなしてくださったみわざを感謝し、ほめたたえます。

                                               野見山かほる

 


                                           
                                                

神のわざがこの子に!

娘に下された診断は「自閉症」。しかし、御言葉に触れ、
神が娘を与えてくださったと受け取れるように変えられました。