不登校だった長男が高校合格!
そして、 皆勤賞☆
中学校の二年間学校に行けなかった長男。
学校に行けない事を感謝し、祈っていったとき、
神様は祈りに答えてくださり、奇跡をなされました。
私の長男は今、コンピューター関係の専門学校の二年生です。
中学1年の11月(1998年)から中学3年生の1月ごろまで学校へ行けなくなりました。
そのような中で、私の通っている教会で、
「すべての事を感謝する」ことが語られていましたので、
最初は口先だけでも良いからと、「この子が学校に行けない事も感謝します。
また、どうして行けなくなったのかも、神様あなたはご存知ですから感謝します。」
と祈り始めました。
8年程前に洗礼を受け、クリスチャンになっていた主人は、
最初は「感謝してどうなるの」と言っていましたが、長男が中学2年の冬、
妊娠して車の運転が出来ない私を車に乗せて、教会の祈り会に行きました。
そして、主人は「今、学校に行けませんが、この事を感謝します。
また、ヤング礼拝に行けるようにして下さい。」と祈りました。
その祈りに、神様は答えて下さいました。2000年5月に弟が生まれ、
6月に献児式を行いました。その献児式の写真を撮ってもらうという事で、
長男に礼拝に来てもらいました。
その時、主人は「弟が生まれてから長男が優しくなりました。」
と泣きながら証しをしました。
神様が息子の心に触れて下さったのでしょう。
その日以来、ヤング礼拝に出席し続けました。
そして、カリスマ聖会にも出てメッセージを聞き祈ってもらい、
預言の言葉を通して、慰め励ましを受け、少しずつ心の傷もいやされ始め、
元気になりました。そして、中学3年の12月に洗礼を受けました。
中学3年の10月の先生との面談の時、学力と、長期間に及ぶ不登校のゆえに、
「公立も私立の高校も合格できたら奇跡でしょう」と言われました。
ショックでしたが、奇跡を行われる神様に祈り始めました。
また、教会の方々も熱心に祈って下さいました。
私たちは、息子の特質や趣味から、鹿児島情報高校のマルチメディア科を
受験したらよいと思いました。
試験当日も朝から教会の方々と祈りました。
そして、2月に仮の合格通知を受け取り、
数日後に校長先生との親子面談を受けました。
校長先生は、「みなさんのテストは合格点でしたが、
あまりにも出席日数が少な過ぎます。でも、次の条件すべてをクリアーできたら、
入学を許可します。」と言われました。
その条件とは、「今日の面接が終わったら、すぐ学校の普通教室に行き、
授業を受け、無遅刻、無欠席、無早退で卒業の日まで通いなさい。」
というものでした。私は、それを聞いて無理だと思いましたが、
息子は家に帰るとかばんを準備し、行く態勢をとりました。
あわてたのは、私や学校の先生でしたが、その日から条件どおりに学校に行き続け、
中学校の卒業証書も自分の手で受け取りました。
そして、高校の合格通知も受け取ったのです。
情報高校は、数年前までは不登校の生徒は受け入れていなかったのですが、
中学3年間不登校だった生徒が皆勤賞をもらって卒業できた時から、
不登校の生徒も受け入れるようになった高校でした。
また、全国でも最新の設備を備えた学校でした。入学式の日も、本当に行けるだろうか、
また、途中で止めるような事にはならないだろうかという私の不安をよそに、
その日から1日も休むことなく、卒業することが出来ました。
全体で130名ほどの生徒たちが皆勤賞をもらいました。
入学時に40名ほどの不登校だった生徒がいて、
その中で3年間皆勤の生徒が3人いましたが、息子はその中の1人でした。
成績も、中学の2年間不登校だったにもかかわらず、
入学後初めてのテストで40名のクラスで17番でした。
それから、テストを受けるたびに順位が上がり、5番にまでなりました。
神様を心からほめたたえます。
神様は、高校生活の中で息子を成長させて下さいましたが、
私の心の疲れや、いたみ、苦しみをもいやして下さいました。
そして、親子関係も回復され始めたのでした。
また、卒業後は推薦入学でコンピューターの専門学校で、
今デジタルクリエイトの学びをしています。
この1年も皆勤することができました。
神様のみわざを心から感謝します。
主にすべての栄光をお帰しいたします。
(イスラエル長野)