神さまから与えられた子

私は12年前、初めての流産を経験しました。
妊娠反応が出て2週間後に完全流産でした。
それから2年後再び妊娠しましたが、またしても同じような時期に完全流産をしました。
この時のそうは手術の時は麻酔が効かず叫びたい程の痛みに中
「何故、こんな悲しい思いをしなければならないのだろう」と腹立たしさを感じていました。

それから数年後再び妊娠したのです。
この時は2度も流産したので新しい病院にかえました。
そこの病院では流産止めの薬を処方してもらいましたので「今度は産める」と思っていましたし、
腹痛や出血といった自覚症状は何もなかったのに、
ある日の検診で「もう子宮内に出血が始まっているね。
3度目の流産だね。出血し始めたら手術に来て下さい」と、
お医者さんから淡々とした口調で言われました。


その口調に腹立たしさを感じて、以前診てもらっていた病院に行き、
しばらく入退院を繰り返しつつ様子をみてゆきましたが、結果的にダメでした。
けい溜流産でした。今までの完全流産とは違い、
腹痛や出血もなく胎内に子供が留まっている状況でしたのでなかなか、
あきらめがつかず、手術当日まで「神様、この子の心臓を動かしてください。」と祈りましたがダメでした。
この時は3ヶ月に入っていたのでラミネリヤ管を入れる処置をしてから手術しました。

この頃、神様に対する不信感と憤りでいっぱいでした。
「神様に従っているのに何故3度も流産しなければならないの」と思い、
しばらくは祈ったり賛美したりもしたくありませんでした。
ところが神様は「3度流産した事を感謝しなさい」と語ってこられたのです。
それで、しかたなく、ふてくされながら、口先だけの感謝を始めました。
そして感謝し続ける中で少しづついやされて行きました。
又3度目の流産をしたので、子供の染色体を検査する事になりました。
すると16番目の染色体に異状が認められたのです。とてもショックでしたが、
この事実をも、ありのまま感謝し受けとめました。



それから翌年の11月に出たイスラエルチームに参加しましたが、
出発直前に再び妊娠していることがわかりました。子供の事は神様にゆだねつつ出発しました。
体調を考えてポイントの所だけは行き、いつもはホテルの中で過ごしていました。
そしてメギドの丘から次の場所へ移動するバスの中で、
私が参加して初めての大きな虹を見ることができたのです。
そして神様から「確かに子供を与えます。その子の名はノアです。」と語られたのです。                                                                           

出血する事もなく帰国出来た私は期待しながら近所の病院へ行きました。
お医者さんから「今までの流産歴もあるから市立病院の先生で、
数ヶ月には開業される先生を紹介するから」と言われ、
現在の主治医に診てもらうことになりました。
しかし、「残念ながら心拍の確認できないので手術しましょう」と4度目の流産を告げられました。
(この時もけい溜流産でした。)私はすっかり意気消沈してしまいました。
さすがに4度も流産すると「もう神様は私に子供を与える計画はないのかも、
神様は私の事を嫌いなのだ」と思ってしまいました。


しかし神様はカリスマ聖会の中で「確かに子供を与えます。
あなたに合った主治医と、病院を備えています。その主治医の指示に従いなさい。」
という預言が与えられました。
それから1999年の9月にカンボジア派遣に行きましたが、出発する数日前に「時が来ました。
わたしの語った言葉は、もう延ばされる事なく成就する」と語られたのです。
カンボジアに行ってみると道路は舗装されてはいるのですが、
デコボコで体にそのデコボコが伝わってくる程でした。長時間乗っている間に、
だんだん子宮に痛みを感じるようになり、少し出血したりもしました。
それで「もしかしたら妊娠したのかな」と思い
「もし妊娠しているのなら守って下さい」と祈りました。
無事守られて帰国の途につき、カンボジア上空で、見事なダブル・レインボーを見せて下さいました。
(虹は神様からの祝福と約束のしるしです。)


帰国後病院へ行くと先生の目でしか確認出来ないような子供の姿を確認することが出来、
「5回目の正直おめでとう、今赤ちゃんが一生懸命しがみつこうとしているから大切にしよう」と言われ、
その日から横体ホルモン注射、胎盤の機能を助ける注射を打ち始めました。
と同時にアスピリン(出産当日まで飲み続けました。)も服用し始めたのです。
ところが再び出血し痛みを覚え、「もしかして再び流産するのかな」と思いつつ診てもらいました。
「赤ちゃんは大丈夫だよ。もう心臓も動き出してるよ」と言われました。

それからは注射打ち以外は自宅で安静にする生活が4ヶ月の終わりまで続きました。
自宅では毎回撮ってもらった超音波写真やビデオを何時間も見ながら、
祈りながら過ごしました。妊娠中も血糖値が高くカロリー制限が出されたり、
WPW症候群という心臓の疾患も見つかったりしましたが、
2000年5月10日無事に守られて帝王切開で元気な男の子を出産することが出来ました。 


お世話になった主治医をはじめ、スタッフの皆さんも明るく又優しくメンタルケアをして下さいました。
又、設備や食事も充実していて私にピッタリの病院で最高の出産の時となりました。
まさに神様が備えていて下さった病院でした。
退院した次の日、先天性代謝異常の検査にひっかかったと電話があり
2次検査の結果を待つ事になり、不安を感じながらも感謝しつつ祈り続けました。
結果は異状なしでした。


それからは、食欲旺盛で風邪もほとんどひかず成長し、1歳の誕生日を境に歩きだし、
2歳の誕生日過ぎからは、これまでの単語や2語文ではなくシナプスがつながった様に話しだしました。
礼拝で一緒に賛美したり、自分の言葉で祈ったりしています。本当に2歳児だろうかと思える程、私たちの言う言葉に対して切り替えしてきます。
又、1キロ近く離れたダイエーまでも補助輪つきの自転車で行きます。
又、最近はウルトラマンだ、カメンライダーだと言っては高校生2年の長男を相手に戦っています。
さすが、あのカンボジアのデコボコ道にも耐え、守られただけの子だなーと思わされています。
本当に神様や、周りの人々から愛され守られています。
ここまで成長させて下さっている神様に感謝します。 
  
                                                イスラエル長野
                       (写真 兄と弟)