イエス様にもらった、素晴らしい祝福!!

今からお話するのは、私が高校を受験した時の話です。



私は小学生の頃からずっと勉強というものを、あまりしたことがありませんでした。親もうるさく言わなかったし、「頭が良くなりたい」って気も起こらなかったからです。「一日一日が楽しければいいや!」と思って毎日を過ごしていました。でも、そんな私がいつのまにか、すくすく育ち、嫌でも勉強しなきゃいけない中学三年生になりました。受験という、とても嫌なものが待っていたのです。だけど・・・「しなきゃいけない!!」と思っても私は、別・・・まったくというほど勉強もせず、おまけに「茶パツ」・・・「ミニスカ」・・「ルーズ」という身なりで、学校に行けば遅刻はあたりまえ・・・。授業もさぼったり、行っても遅れて出るか、寝るか、しゃべるか・・・、とりあえず黙っていても聞いていることは、まずないのでした。だけど、学校は大好きでした。大好きな仲間がいたからです。何でも言い合えて、何でも相談できて・・・。


私は、かけがえのない大切な友達が、人生の中で初めてできた気がしました。でも、そんな楽しさゆえに私は、イエス様から離れていってしまいました。今までイエス様に、たくさんの愛や恵みをもらっていたのに、私は誘惑に負けて・・・教会にも行かなくなりました。そして、月日は経ち・・・いつのまにかまわりは、受験で焦りはじめました。



でも、みんなは焦っているとはいえ、前からコツコツやっていたため、私の焦りとは比べものになりません!「これはヤバイ!!」と思い私も勉強をし始めました。でも、今までやっていなかった分、人の何倍もしなきゃいけません!友達みんなで「絶対合格しようネ!」と誓い、朝から夜まで勉強の日々が始まりました。大好きな休み時間まで勉強していました。だけど、勉強をし始めるのが遅かったせいか、今までの行いも悪かったのもあると思います・・・。私立に落ちてしまいました。これには、さすがに参ってしまいましたが、落ち込んでいる暇はありません!!なんとしてでも公立に受からなければならないのです。そして、また勉強の日々が始まりました。それから、受験をまじかに控えたある日・・・お母さんが私のこう言いました。「愛、(自分の名前です。)教会に行って祈ってもらえば?」と・・・。そして、壁にかけてある一枚の色紙に目がふっと留まりました。
神にとって不可能なことは何一つありません。(ルカ1章37節)


私は教会に行くか迷いました。今までイエス様から離れていた私が、自分が困った時だけ助けを求めるのは何かずるい気がしたからです。だけど、散々迷ったあげく・・・行くことにしました。行く途中ずっと、何か申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。そして、教会のドアを開く前に・・・「イエス様、私のことをどう思ってもかまいません!今まで本当にゴメンナサイ・・・。」教会の人たちは私のことを温かく迎えてくださり、そして何より、イエス様と触れ合っていくと、どこか穏やかな気持ちになりました。そして帰り道、私はもう一度・・・一つ一つ悔い改め、また毎週教会に行くようになりました。


すると、なんと!! 絶対無理だと思っていた公立の高校に、み・ご・と・に合格する事が出来たのです

イエス様は、私をあわれんで下さり、見捨てはしなかったのです。学力のない私が受かるなんて!誰が予想したことでしょう。私は今、楽しい高校生活を送っています。また、嫌〜な勉強があるけど、大好きな友達がいて・・・毎日笑いがたえません!


今、私が生きているのも、高校に通えているのも、全部全部イエス様のおかげです!私が罪をおかそうと、イエス様から離れても、見捨てることなく私を愛してくださり、たくさんの恵みと祝福を与えて下さいました。

そんなイエス様を私はこれからもずーっと愛していきたいです!!最後に・・・「イエス様、本当にありがとう♪



By   愛  




ちょっと一言


愛ちゃんが合格したのは、鹿児島市でもバリバリの進学校でした。担任の先生が勧めた2つの公立高校は、嫌で行きたくなかったのです。お母さんは愛ちゃんの成績を知っていたので、信仰が試されていた様です。合格してどんな成績だったかを知った私たちも、これは奇蹟だと思ったのです。受験当日、私たちに祈りの霊が注がれ・・・泣いて、叫んで祈っていました。「神様!愛ちゃんのお母さんは、長い間忠実にあなたに仕えてきました!その報いを与えて下さい!愛ちゃんを合格させてください!」と・・・。
そして、主はその祈りに豊かに答えてくださいました。
主の御業をほめたたえます。