主日礼拝説教要旨
2012年11月11日 ヨハネ森啓一牧師
申命記32章3節
「栄光を私たちの神に帰せよ」
「栄光」が現わされるとは、奇跡が現わされるという意味です。大和カルバリチャペルの大川従道先生は 主の十字架を「奇跡の教会」と紹介してくださいました。これまでと違ったレベルの奇跡がおこって来るのです。昨年「栄光と奇跡がおこる」「一人一つ以上の奇跡」と語られました。奇跡をなされるのは神。徹底的に神に 栄光を帰すことが大切です。
しかし奇跡がおこる前には 問題がおこってきます。今までと違ったレベルの奇跡がおこって来るということは、今まで経験したことがないような問題がおこって来るということです。私達の力では どうすることもできないような問題がおこってくるのです。問題に対し 私達がどう対応するかが重要となってきます。問題に 私達の力で戦ってはなりません。そうするならば 私達と問題の関係になってしまいます。しかし 問題を神の所に持っていくならば、神と問題の関係になるのです。
歴代誌Ⅱ20:15の戦いは 始めはヨシャパテと敵の戦いでした。しかしヨシャパテは神の戦いに持っていったのです。すると神は言葉を与えてくださいました。この神の言葉に従い、喜びの声を上げた時奇跡がおきたのです。22節の御言葉は昨年の御言葉ですが、非常に重要な御言葉で今年度以降も生きている御言葉です。「喜びの声を上げる」とは 神に栄光を帰すことです。神に栄光を帰すには、神がしてくださったことを生活の中で認識する必要があります。そして受けた恵みを一つ一つ感謝し 栄光を神に帰すのです。「喜びの声」とは 受けたと信じる信仰です。感情が伴わなかったとしても 神の言葉を告白していくのです。そのことが大切です。しかし ヨシャパテの「喜びの声」は、感情を伴って喜びでした。さらに一歩踏み込んだ信仰の対応だったのです。
時代は厳しい時代に入り 私達にも問題がおこってくるでしょう。しかしその問題の背景には、必ず神の勝利と祝福があるのです。そこに私達の目を向け 喜びの声を賛美の声を上げ続けましょう。そのただ中に働かれる神の栄光を見てまいりましょう。これは神から出たものです。それゆえ 栄光は徹底的に神に帰していくことが重要なのです。(文 小川)