主日礼拝説教要旨
2013年6月9日 ヨハネ森啓一牧師
へブル人への手紙11章17節~
本日の御言葉は アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフについて書かれています。まずアブラハムの信仰を 見ていきましょう。 アブラハムの信仰の特徴は 聞き従いでした。アブラハムにとって 「信じる」とは「従う」こととイコールなのです。神が語られた約束が現されるためには、信じるだけでなく行動をおこさなければなりません。アブラハムは神の言葉に聞き従いました。しかし試練が起こったのです。神から 「ひとり子イサクを捧げよ」と語られたのです。神の約束と神の命令には 矛盾がありました。アブラハムの約束の子イサクを通して 子孫を星の数までに祝福するという神の約束に、「生贄としてイサクを捧げよ」という神の命令は矛盾しています。しかし アブラハムは 神に従ったなら約束は成就し祝福してくださるという信仰に立ったのです。イサクは神によって必ず復活すると アブラハムは信じました。アブラハムはなぜ「信じられた」のでしょう?それは聖霊の助けがあったのです。アブラハムは常に神と交わり 御心の所にいました。そのためアブラハムは神の助けによって 信じ従うことができたのです。アブラハムは、神が語られた日の「翌朝早く」に イサクを捧げるため出かけました。アブラハムはすぐに従ったのです。この時点で すでにアブラハムはイサクを捧げていました。神が約束されたことは必ず成就する、だから人間的に見ると矛盾があっても 試練や問題を益に変えられていくのです。 イサク・ヤコブ・ヨセフは 子供たちや家族を祝福しました。これは 将来アブラハムに与えられる約束を 信仰によって彼らは継承していたためです。アブラハムの祝福は 子孫に受け継がれていくことを 信仰によって知っていたのです。 私達もアブラハムの信仰に習う者として 神の約束に立ち聞き従いをしてまいりましょう。神の約束はすでに成就したものとして 信仰を働かせて歩んでまいりましょう。(文 小川)