主日礼拝説教要旨

2013年5月12日 ヨハネ森啓一牧師

へブル人への手紙10章26節~39節

イエス・キリストを信じて信仰に入った多くのユダヤ人が ありました。社会や家族や友人達から反対され、ある人々は迫害され捕えられて行きました。救いの道に入ってすぐ激しい戦いに入ったのです。父親から財産を奪われた人も居ました。けれども、捕えられた人々を思いやり、また、もっとすぐれたいつまでも残る財産である、天の取り分を確信して喜んでいました。 信じる信仰を持つだけでなく、信仰を働かせたのです。信仰の歩みにぶつかるものに恐れがあります。恐れは信仰、聞き従うことにぶつかります。人を恐れることは神よりも人を優先することです。恐れるべきものは神です。神を恐れるということは主を第一とするということです。 人を恐れたり、困難な状況やユダヤ教社会を恐れてしまって、元のユダヤ教社会の生活に 戻ってしまう人たちが居ました。集会や教会の集まりから離れてしまったため、背教してしまう人も居ました。教会は奥義です。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちているところです。(エペソ1:23)信仰を使わなかったら、私達は肉を使っています。ですから、信仰は意図して用いる必要があります。その戦いは信仰者には常にあります。肉の思いは御霊に逆らうからです。約束のもの、御国、天国を手に入れるためには忍耐が必要です。罪は悔い改めたら許されます。義人は信仰によって生きるとあります。キリストは再び来られます。 恐れて退くのではなく、確信を投げ捨てるのでなく、教会を土台として、互いに集い、希望を告白し合いましょう。(文 谷本)