主日礼拝説教要旨

2012年9月30日 ヨハネ森啓一牧師

サムエル記第一15章22~23節

22節~23節の御言葉が語られた背景が、15章の1節から書かれています。
主はサウルをイスラエルの最初の王として立て、サムエルを遣わし、「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。」と語られました。
しかし、サウルと彼の民は、王アガク、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶せず、ただ、つまらないもの、値打ちのないものだけを聖絶しました。
聖絶とは、すべてを断つことによって聖められることです。 サウルは、これらのものを惜しんだため聖絶しなかったのです。
サウルは戦いに勝利しましたが、アガク王を殺しませんでした。自分が勝ったことを、王に見せるためでした。
この戦いは神の戦いであり、神が勝利を取られたのに、自分が勝利を取ったように思ってしまい、戦利品を自分のものと思って惜しんだのです。
人は自分のものとする時、そこに惜しむと言う思いが生じます。 サウルは13節で「私は主の言葉を守った。」 20節で「主の御声に聞き従いました。」と言っています。守ったと思い込み、従ったつもりだったのです。
14節で、サムエルはサウルに、悔い改めの機会を与えていますが、悔い改めえることはせず、15節で、民が主にいけにえを捧げるために惜しんだと、理由付けをしています。
聖絶すべきものを、いけにえとして捧げることなど出来ません。
御声に聞き従うことは、神が語られたことを語られた通りにすることです。
失敗しても悔い改めるなら、神は赦して下さいます。
私たちも、自分なりの解釈に注意しなければなりません。
22節 雄羊の脂肪は、捧げものの中で最も良いものです。主が語られたことに正しく従う事、これに勝るものは無いと言っています。
自分なりの解釈をし、感謝、悔い改めをしない時、惜しむ心が生じ、聞き従いを妨げます。
23節 主より大切なものがあるなら、それは偶像礼拝であると言っています。
偶像礼拝は、神が最も忌み嫌うものです。
いろいろなものが偶像礼拝になりやすいので、注意しなければなりません。
従えなかった時は、その事を感謝し、悔い改め、再び従えなかった所から従い始めることが大切です。
自分の力で従おうとせず、主の助けを受けて従って行きましょう。そのために祈りは重要です。
従うことを通して、神が開かれる働き、祝福、恵みがあります 。
惜しむ心、高慢、高ぶりから守られるように祈り、謙りながら神の御心を全うしていきましょう。 (文 青木)