主日礼拝説教要旨

2012年9月9日 ヨハネ森啓一牧師

テトスへの手紙3章1節~8節

パウロはクレテの教会に問題があった為 責任者であるテトスに手紙を送る必要がありました。クレテ人は 支配者に反抗する状況がありました。このようなクレテ人ですが、救われ教会が立ったのです。しかし偽教師たちが 教会に入りこみました。偽教師たちは教会をかき乱したのです。テトスはそのような人々に罪を示しても 聞いてくれないのではないかと心配していたのです。  しかし パウロは罪人(つみびと)に特別はないことを語っています。パウロやテトスも 以前は罪の中で生きていた者でした。ここから救われたのです。聖書でいう「罪人」とは 本当の神を知らない者という意味です。本当の神のところに行き、救われたのです。ある人々が特別な罪人ではありません。人間はみな同じく罪人なのです。救われた者であっても、以前は罪の中にいたのです。 3節「愚かな者」とは、聖書では霊的な理解力を持たない者を意味します。神がわからない状態にいるため 神との正しい関係を持っていません。人は生まれながらに 神との正しい関係を持っている者はいません。人間は みな愚か者であり罪人なのです。「不従順」とは 一つに神に従わないことです。神がわからないから従うことをしません。次にこの世の権威に逆らいます。神に従うことを知ると、世の権威に従うこともわかるのです。「迷った者」とは だますと同じ意味です。「憎まれ者」とは 神から見たことを表します。神は憎む方でなく愛の方です。神を知らない人間は 神を知らないがゆえに神に憎まれるようなことをしてしまうのです。  このような人間が救われるためには 行いではありません。「義のわざ」とは律法「十戒」です。「十戒」を行うことを通して救われるのではなく、イエス・キリストの死と復活を信じることを通して 神の力によって救われるのです。クレテ人の状況・実態を見てしまうなら、聖書を語っても受け止められないと思ってしまいます。しかしみな同じであり 救われるというところに心を止め目を向けるようパウロは語っています。  「更新」とは ローマ12:2「一新」と同じ源語が使われています。新しく生まれるという意味です。イエス・キリストの十字架を信じる私達は、聖霊によって新しく造りかえられたのです。神のすべての祝福を受け取る者として 神に似た者として、人は造られました。そのもとの神との関係に 生まれ変わって戻るということが 私達の人生におこったのです。私達は一新された者として 神に従っていくならその実質が現わされるのです。神に信頼し 更に従い続けてまいりましょう。 (文 小川)