主日礼拝説教要旨

2012年6月3日 主日礼拝メッセージ ヨハネ森啓一牧師

ここで、パウロが言っている中心は、「イエス・キリストを、いつも思っていなさい。」 と言うことです。   
[7節] 私が言っていることとは、パウロがテモテに宛てて送った手紙に書かれている、 神の言葉であり、その神の言葉をよく考えなさいと言っています。 しかし、聖書の言葉は、理解できることと、理解できないことがあります。 私たちが理解できない原因として2つ考えられます。
(1) 何を言っているか分からない。 (2) 私たちの思索、考えが優先してしまい理解できない。
この時、思索で考えるのではなく、聖霊の助けを受けて考える事が大切です。 ヨハネの手紙 第一 2章27節には「あなたがたの場合は、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。 それで、だれからも教えを受ける必要がありません。 彼の油がすべてのことについて、あなたがたを教えるように、その教えは心理であって偽りではありません。」と書かれています。 そのためには、聖霊が働かれる場を作らなければなりません。 聖霊は信仰、神の言葉に働くので、信仰を用いることがポイントです。 聖霊が働く場を作ると、霊で理解することができます。 しかし、無知な人は曲解し滅びを招いてしまいます。  
[8節] 私の福音とは、パウロに委ねられた福音のことです。  [9節] パウロは福音のために労苦し、ローマ政府に犯罪者として捉えられているが、神の言葉、また教会の働きはつながれていません。神の救いというすばらしい計画、働きは進んでいます。と言っています。 [10節] パウロは神に対する確信と、多くの人たちが救われてくることを知っていたので、どんな苦しみにも忍耐をもって耐え忍ぶことができると言っています。  
[11~13節] ここはバプテスマの時に歌われた歌詞と思われます。(ローマ 6:3~11) それを、パウロが引用し、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと思いなさい。とテモテに教えています。  福音の中心である、イエス・キリストのこと、神の言葉を、いつも思っていることが大切です。 私たちは意識して、神の所に行く必要があります。 御心の所に、いつも私たちの人生を置いていきましょう。  (文 青木)