主日礼拝説教要旨

2012年5月13日 主日礼拝 ヨハネ森啓一牧師

テモテへの手紙第2 1章1節~5節

テモテへの手紙第二は パウロが最後に書いた書簡でありAD67年頃書かれました。パウロは AD68年にローマで殉教したと言われています。この手紙を書いた時 パウロは殉教することを知っていました。テモテを励ますため、  殉教する前に自分の言葉をもってテモテに伝えたかったのです。 パウロが使徒であることを 認めない人々がいました。しかしパウロが使徒となったのは 神の御心なのです。パウロはダマスコ途上において神の声を聞き救われ 異邦人の使徒としての召しが与えられました。自分が神の計画の中に置かれていることを信じたのです。その後のパウロは、神の御心を歩みました。私たち一人ひとりに例外なく 神の計画があります。それは最も祝福される歩み。そのことを信じることが重要です。信じたら神の計画を聞く必要があります。聞くポイントは 祈り・聖書。聞いたなら従うことです。神の計画は個人ではなく、教会に与えられます。教会の中に神の計画があり働きがあるのです。 パウロは「夜昼」祈っていました。これはいつも祈っていたということです。祈りには 感謝・悔い改め・求めがあり、また個人で祈り教会で祈ります。祈りは神を体験する大きなポイントです。さらに「喜びに満たされたい」とパウロは願っています。宣教の戦いの中で 同じように涙を流しながら神の御心をなしているテモテに会い 証しを語りあいお互いに励ましあうことを通して 喜びに満たされたいと願ったのです。その喜びとはどこから来るのでしょう?試練や困難を通してやってくる喜びなのです。これは十字架です。私たちが喜びに満たされるためには 十字架を通らなければなりません。イエス様が死を通して復活が現わされ 弟子たちが喜びに満たされる(ヨハネ16:19~22)ように、試練を通して 神の勝利と栄光が現わされます。ヤコブ1:2には「様々な試練に会う時は それをこの上もない喜びと思いなさい」 とあります。これは受けたと信じる信仰です。感情ではできません。しかし信仰によってそれができるのです。実践するならば、試練の後ろにある神の祝福を見ていくのです。 信仰が「宿る」とは 聖霊が内住し実在していることを意味します。信仰は生きて働くもの実際的に存在するものです。精神的なものではありません。戦いが厳しくなり前に進めないような状況の中で パウロはテモテに「あなたの持っている信仰は 最も素晴らしいもの。その信仰に神が働くのです。信仰を働かせなさい」と語っています。信仰が神の勝利を現わしていくのです。その同じ信仰が 私たちのうちにも宿っています。私たちも信仰を用い 神の栄光を見てまいりましょう。 (文 小川)