主日礼拝説教要旨
2012年4月22日 主日礼拝 ヨハネ森啓一牧師
テモテの手紙第1 5章17節~6章2節
17節の長老とは監督、牧師と同義語であり、教会を治め指導し導きます。「尊敬を受ける」の原語の意味に価値、報酬の意味があり、1、言葉通り尊敬する 2、報酬を受けるという意味です。長老の中でも御言葉と教えに特に骨折っている者がいて、新約では牧師です。神のことばがいのちに導くので、御言葉を取り次ぐ牧師は二重に尊敬を受けるにふさわしいのです。18節の「くつこ」とは口をとざす器具で、働く者が報酬を受けるのは当然なのです。(申命記25章、ルカ10:7)
19節で長老は二重の尊敬を受ける立場なので誰か一人が長老を訴えても受理せず、2、3人の証人がいて、誰の目にも明らなら厳しい対応を言っています。
また21節の「偏見なしに」は情報なしにという意味で、ある一定の情報だけによってはいけません。なぜなら判断基準は神であり、神に聞き、御言葉によって対応します。神からの情報が多いほど正確に聞けます。偏見なしに守り、何事も偏らずに行うことが大切です。それが長老でもそれ以外の人でも仲が良い悪いで対応に偏見や偏りがあってはいけません。
22節で、テモテに対し誰でも按手して長老にしてはいけないとパウロは言っています。彼は長老のリーダーとして、長老に任命する者の資質を正しく判断する必要があり、長老にふさわしくない人を按手するなら、その人の罪の問題に無関係でなくなります。また、一般的にいうなら、人の罪に関わってはいけない、教会として罪を犯している人をそのままにせず、その人の罪に関わってはいけません。
これから、多くの人々が導かれてきます。偏見なしに正しくすすめ、神にも仕え、人にも仕えていきましょう。(文 中谷)