主日礼拝メッセージ要旨
2012年4月1日 主日礼拝 ヨハネ森牧師
ヘブル人への手紙4章12節
私たちが信じるのは、神であり神の言葉です。感じるところ、見るところではなく、中心に置くべきは神の言葉なのです。 神の言葉は生きていて、力があり、言葉の後には神の権威があります。ですから、私たちは神の言葉を聞いて、受け取ることが大切です。 神は祈りを通して、聖書を通して、思いの内に、預言を通して、摂理によって、夢、幻、直接的な声で、天のしるしを通してなど、いろいろな方法で語られます。 言葉を聞くだけではなく、信じ受け取ることが大切です。 神の言葉の権威は、信じて行動する時、現わされます。行動しなければ現わされないのです。 語られた言葉を吟味し、確認が取れたら、そこに立って告白するのです。 告白のポイントは、喜びの声、賛美の声を上げることです。 神は、東日本大震災直後、私たちの群れに、「日本に孤児院(児童養護施設)を造りなさい。」と語られました。今、日本の孤児院設立に向けて、働きが進められています。 これは、神の計画であり、神が成して下さいます。なぜなら、神の言葉があるからです。 ですから、私たちは「日本に孤児院が建ちました。」と辛子種の信仰を用いて、告白しています。 与えられている神の言葉に、しっかり立ち告白していきましょう。 神の言葉は生きていて、力があり、神の権威があります。 信じ告白していく時、神の業が起こり、奇跡が起こり、約束の言葉が成就するということを、覚えていただきたいと思います。 (文 青木)
2012年3月25日 主日礼拝 ヨハネ森牧師
テモテへの手紙第一 3章1節~16節
教会の組織体制と奉仕者の資格について共に学んでいきたいと思います。 初代教会時代から教会の組織体制はありました。教会の組織体制は、教会が神の働きをするため、秩序が保たれるために大切であり必要です。この組織体制のなかの監督及び執事の方々は「こういう人々でなくてはいけません」、とパウロは手紙の中で語っています。 監督とは取り締まる者、管理する者、支配する者、見張る者という意味があります。執事は監督の働きを補助する奉仕者であり審査の基準がありました。(使徒の働き6章3節~5節)それは・御霊と知恵とに満ちた評判の良い人・信仰と聖霊とに満ちた人です。監督の条件には15の条件があります。1非難されるところがなく(責められることがない)2ひとりの妻の夫であり(一夫多妻が当時あったと思われる)3自分を制し(欲を制御できる)4慎み深く(分別のある)5品位があり(とりみださず、りっぱに行動ができる)6よくもてなし(旅人をもてなし)7教える能力があり(神の言葉を正しく理解し教えていく)8酒飲みではなく9暴力をふるわず10温和で11争わず12金銭欲に無欲13自分の家族をよく治め14信者になったばかりの人でなく15教会外の人々にも評判の良い人、などです。婦人執事では、・威厳があり・悪口を言わず・自分を制し・全てに忠実な人、と語っています。執事にも7つの条件があります。1謹厳で2二枚舌を使わず3大酒のみでなく4不平な利をむさぼらず5きよい良心をもって信仰の奥義を保ち6一人の妻の夫7子供と家庭をよく治める人とパウロは語っています。監督と執事の土台は教会にあります。教会を通して神の救いの計画が進むためです。教会とは神の家、神の教会であり真理の柱が土台です。キリストの十字架の死と復活、福音が中心にあり、多くの人々が信じるため、救われる為に祈りが、秩序、奉仕者、体制が必要だ、とパウロは語っています。
(文責 森本)
2012年3月18日 主日礼拝 ヨハネ森牧師
テモテへの手紙第一 2章8節~15節
【8節~9節】公同の礼拝について、男女のことが述べられています。 【8節】男性は公同の礼拝について祈るように言っています。おそらく偽教師が教会の中に入り、空想話や議論になり、男性は基本的には行動的なため男性間でけんかや言い争いが起こったと思われます。その結果秩序が乱れました。それに対してパウロは「どこででも」とあるように、どこの教会で怒ったり、言い争ったりすることなく、男性はきよい手をあげていのるようにしなさいと言いました。 9節では、女性も同じように身なりに対して神の前に出るのにふさわしい服装をして神の前に出なさいと言っています。これは全く化粧もおしゃれもダメだと言っているのではありません。それらはしてもいいのです。しかし、神の前に行くことの妨害となるような、自分をよく見せたい格好を公同の教会の中でしてはいけないと言っているのです。女性に対して取り上げていることから、もしかしたら女性の偽教師もいたかもしれません。派手な髪の形や真珠をつけたり、高価な衣服をで彼女たちは身を飾ったため、教会の中の女性たちがそれを真似して、夫の権威をないがしろにしたと思われます。 【10~11節】良い行いとは、神と自分の関係の中で正しい関係のことです。正しい夫との関係は、サラがアブラハムを自分の主と呼んでいたようにすることです。 「静かにして」とは、女性が全く教会内でしゃべらないということではありません。無駄で無益なおしゃべりをやめなさいということです。それらは何の結果も生みだしません。中心は愛を基盤としているかどうかです。神の救いのために、それが本当に必要かどうかです。神の救いのためにそれが本当に必要かどうかです。私たちは極端にならないように注意しなければなりません。人の徳を高めるようなことはドンドンしていきましょう。 【12節】この個所は女性の偽教師が教えたり男を支配してはいけないという意味です。しかし、ある教会では「教える」=メッセージ、「支配」=牧会であり、女性の牧師や教師が立ってはいけないという根拠にしています。しかし、律法は枠組みであり、律法を守ることで神の御心を全とうすることはありません。信仰の歩みが神の御心を全とうします。律法は信仰に行くまでの前段階です。Ⅱコリント3:6であるように「文字」は律法です。私たちは律法に仕えるのではなく御霊に仕えるように導かれます。つまり律法によれば女性は牧師には立つことができません。しかし御霊によるならば神に導かれた男性女性が牧師に立ちます。申命記23:3ではアモン人、モアブ人と交わってはいけないとあります。彼らは偶像礼拝者でありイスラエル人が彼らと交わると偶像礼拝が入ってくるからです。しかし、イエス・キリストの系図に入れられたルツはモアブ人でした。律法ではこれは違反行為です。しかし彼女は異邦人にもかかわらずイスラエルの神を神として認めたため、その信仰を神は認められ、ボアズとの結婚に至ったのです。家族になることによりイスラエルの信仰を引き上げるので結婚に導かれたのです。文字は殺し、御霊は生かします。 【13節】この個所は男女の秩序のことを言っています。夫婦関係は主導権をどちらが握っているかどうかです、みためではありません。最終決定を夫が握っている必要があります。 教会にはキリストが建てた牧師が存在します。男性であろうと女性であろうと神が立てた牧師に従うのです。 【14節】女性の方が惑わされやすいとあります。しかし最終的には男性も惑わされ過ちを犯しました。エバが惑わされたのは夫がいない時であり、秩序の守りのない時です。そして、罪を罪として認めなくなります。正しい秩序の中にいるときに守られます。 【15節】この個所は女性が本来の姿に戻る時に救われるという意味です。本来女性は夫の助け人であり夫の秩序の中に入る時に救われます。正しく秩序の中に入ることを通して祝福を受けます。権威と秩序は大切です。 教会内では、無益な議論、無駄なおしゃべり空想話があるので、それらを避けるように聖書では言っています。祈りを大切にしながら、教会内で権威と秩序には従っていきましょう。これから多くの人がやってきます。私たちの信仰の行いを神は見ておられ祝福されます。また、それらを見て多くの人々も祝福を受けるのです。
2012年3月4日 主日礼拝 ヨハネ森牧師
テモテへの手紙第一 1章12節~20節
テモテへの手紙第一1章12~17節、ここにはパウロの証しを通して 生ける神の証しの重要性が語られています。
テモテはエペソ教会の牧会者でした。教会はキリストが満ち恵みが満ちていますが、サタンも働いています。偽教師が教会に入りこんでいたのです。テモテはそのことによって弱り果てていました。パウロは自分の証しをすることを通して、テモテを励まそうとしたのです。 以前のパウロは 教会を迫害する者でした。しかしダマスコ途上で神の声を聞いた時 真の神はこの方以外いないことを知り救われたのです。そして神の恵みが増し加わった人生を歩みはじめました。パウロは神からの正しい情報を聞くことによって変えらたのです。聞くことは信仰のはじめ。しかし聞くためには 語る人が必要です。証しを語ることは重要なのです。証しを語ることは 信仰を用いることの一つ。パウロは 証し人として神の恵みの見本として用いられました。私たちも神に従って出て行き 信仰を用い証しを語ってまいりましょう。
18~20節には テモテへの勧告を通し 預言の重要性が書かれています。 テモテが長老たちから按手を受けた時に語られた預言(4:14)について パウロは述べています。預言は教会に与えられたものであり、教会の権威と秩序の中で用い 吟味し神のものだけを受け取るものです。この時テモテは教会の牧会者としての召しの働きが 預言を通して語られました。召しに立って勇敢に戦い抜くため 預言が語られたのです。宣教は戦いですが、牧会も戦いです。エペソ6:17には「御霊の与える剣である、神のことば」とあります。預言は神の働きの一部。意味もなくあるわけではないのです。神が与えてくださった剣(預言)を用いて 神の戦いを勇敢に戦い抜いてまいりましょう。
(小川)
2012年2月26日 主日礼拝 ヨハネ森牧師
テモテへの手紙第一 1章1節~11節
テモテへの手紙第一、第二と、テトスへの手紙は「牧会書簡」と呼ばれています。
これらは、テモテ、テトス個人と共に、彼らが牧会していた教会に宛てた手紙です。
テモテは母がユダヤ人、父がギリシャ人でした。 パウロの第二回伝道旅行中、ルステラでパウロに会い、導かれ同行し、パウロの働きを助けた一人です。
テモテへの手紙の目的は四つあります。
(1) 偽教師に対して、どの様に対応するか。
(2) テモテが牧会しているのは、単に人間的な事から出ているのではなく、パウロの使徒職としての権威によって、牧会者として建てられた事を、教会に正しく示すため。
(3) 教会の組織化のため。
(4) 教会の一人ひとりが、正しく訓練を受けていくため。
[1節~2節]
これは挨拶文です。 パウロの通常の手紙と大きく異なる事は、「あわれみ」と言う言葉が付け加えられている事です。「あわれみ」は神の助けを意味します。
ここで、テモテが厳しい状況の中で使命を全うするため、恵みと平安、神の助けがあるようにと、祝福の祈りをしています。
真実の我が子テモテと言っていますが、イエス・キリストに仕えていく上で、非常に密接な関係にあったと思われます。
[3節~5節]
偽教師の問題や様々な問題が起こり、厳しい中で牧会しているテモテに、エペソに留まるように励まし、教会の中に間違った教えを説いている人たちがいるので、説かないように命じなさいと言っています。「果てしのない空想話と系図」とは旧約聖書の中の出来事や系図を指し、これらを拾い出して、神話的に自分が思った通りに膨らまし言葉にしていました。これらは神の計画を妨げるものです。
正しい信仰がなければ、神の愛は生まれてこないからです。
[6節~7節]
ある人たち(偽教師)は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰から離れてしまい、くだらないおしゃべりばかりしていました。律法の教師になりたがり、律法の教師の様に振舞っていたと思われます。しかし、律法を正しく理解していませんでした。
[8節~10節]
律法は正しく理解するなら、正しく機能します。
律法は次の様な人のためにあると言っています。
「律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物」これらは神に対して、罪を犯している人を指します。
「父や母を殺す者、人を殺す者 、不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証する者」これらは十戎の中の五戎~九戎を意味します。 またそのほか健全な教えにそむく事のためにあると言っています。
[11節]
偽教師たちは自分たちで、律法の教師なりたがっていたが、福音は神によって委ねられるものである。そして、パウロはその福音を委ねられた。と言っています。
福音はパウロに委ねられ、教会に委ねられ、今、私たちに委ねられています。
私たちは福音を語り続けていきましょう。
(文 青木)
2012年2月19日 主日礼拝 エルサレム前田副牧師
テサロニケ人への手紙第二 3章16節~18節
パウロがテサロニケ教会に手紙を書いた動機
・迫害 困難の中にいたテサロニケ教会の人々を励ます為。
・終末についての間違った教えの中で来臨希望を失い、落ちつかず、心を騒がせている人々
に対し、注意を与え、教えを正す為。
・教会に、気ままな者、ひねくれた者、締りのない歩みをする者達がいたが、その人々に
対して敵とみなさず、神の言葉に立って対応をするように。
これらのことを目的としてパウロは手紙を書いた。
16節~18節はパウロの祈り
祈りの内容は「テサロニケ教会が真にキリストの教会として進み、真に主に従う教会としてあるように」との思いを持って祈った。
16節 どんな場合にも いろんな事柄が許されてくる中にあっても、キリストは教会のかしらであり、教会の中に臨在され、神の平和、神の賜物として教会に満ちておられる。
あなたがたすべてと 神のみ心はすべての人々が救われること。きままな者、小
心者、弱い者、締りのない者、ひねくれた者に対して敵とみなさず裁くのではなく兄弟としていましめなさい。パウロ自身も彼を迫害し妨害する者に対して裁くので
ではなく、その人達のために祈り、兄弟として戒めている。
17節 パウロ自身の手であいさつを書きます。 私が直接書いたのです。
16節~18節はパウロ自身が自分の手で書いた。
2章2節にあるように、偽教師がパウロからの手紙と言って偽手紙を書いてテサロニ
ケ教会に送ったため。今回、はっきりとパウロ自身が書いたと示す必要があった。
(この当時は、パピルス紙に手紙を書いたが、それに手紙を書くことは困難で時間
がかかり、疲れる仕事だった為専門に書く人がいた。)
18節 あなたがたすべて 教会全体をさしている。
イエス・キリストの恵みが、イエス・キリストを頭とした教会に満ちている。
キリストの恵みが教会の基盤である。
この恵みは、教会を愛する者、イエスを愛する者、イエスを信じている者、全て
の聖徒に与えられている。イエスを信じることを通して、神の恵みによって救って
下さり「価値ある者、恵みある者」として導いて下さった。神の御言葉に従って
神が持っておられる全て良きものを聞いて受ける歩みをし、私達を通して多くの
人々が滅びから救いだされ、救いという恵みにあずかることができる様に教会を
土台として全世界の人々に福音を語るときがきた。そのために神の武器を与え方
法を与えて下さっている。いろんな問題があっても喜びの声を上げ、賛美の声を上
げ告白し主の勝利を見ていきましょう。さらに主に従って歩んでいきましょう。
2012年2月12日 主日礼拝 ヨハネ森牧師
テサロニケ人への手紙第二 3章6節~15節
【6~12節】「気ままな者」とは原語で「アタクトス」、軍事用語で任務を離れる兵士を意味します。テサロニケ教会の中には、自分のなすべき働きを放棄して仕事をせずおせっかいばかりして頼まれもしないのに教会の人々の間を行き回り食料だけではなく生活の糧を得ている人々がいました(8節)。その人々に対して、「静かに仕事をし」神に信頼しちゃんと自分の仕事をするように命じました。 聖書の労働観は1、人は働く者として神によりつくられた(創世記2:15) 2、働くことにより文化が生み出される(文化活動)(創世記3章)を言います。生活の安定、自分の欲望を満たすために人は働きますが、実は人は神に造られた者として、神の召し、使命の全とうのために働くのです。しかしテサロニケ教会の一部の人々はそのことを放棄していました。 パウロは使徒としてテサロニケ教会から糧を得ることを放棄し、テサロニケでもコリントでも仕事をしていました。それは教会の人々に負担をかけないためと共に自分を見習って彼らが自分の手で働いて宣教の働きを全うしてほしかったからでした。 「たゆむことなく善を行いなさい(13節)」とは心の緊張が緩みあきたり、怠けたりすることなく、善、信仰の行いをしなさいとパウロは命じています。 【14節】もしパウロの手紙で書かれた指示に従わず、締まりのない歩みをする人々がいたら一時的に交際しないようにとあります。その目的は彼らを笑い者にするためでなく、正しく悔い改め本当の使命に立ち神の恵みの祝福の場所に自分自身をおくためです。また、テサロニケ教会の信徒が、同じ兄弟姉妹なのに彼らを敵とみなす可能性が有り、彼らが正しく悔い改めて、元の隊列に戻しなさいと言いました。 これから教会に様々な人々が来られます。私たちは愛をもって対応していきましょう。忍耐を持って教え勧め慰め、締まりのない人たちに対して、終わりの時使命と召しに立つことができるように正しく導いていく必要があります。
(文 中谷)