神様は愛している

 私たちは、よく子ども達を抱きしめて「愛してるよ。」とか「好きだよ」、「大事だよ」と言います。
 子ども達の反応は個性的で、長男は「僕もだよー」と言って頬にちゅっとしてくれたり、猫の子のようにじゃれつきます。長女は真ん中の複雑さか、「わたしがいちばん?」と聞いてきます。「そうだよ、女の子の中で一番!」私がそう言うのを期待しているから、ずっとニコニコしています。次女はまだ1歳前なので言葉で返してはきませんが、他の人には見せたことのないような、トロトロの笑顔(ちょっとしまりのない!?)で答えてくれます。

 私はいつも思うのです。「愛している」と言う言葉、「好き」と言う言葉が、そういう意味を持つものだと、人はいつ知るのでしょうか?生まれてから家族との関係の中で、また、成長していろいろな人々とのかかわりの中で、人は「愛」と言う言葉がどういうものかを知っていきます。
 ですから、愛の感触、感動、定義は、「自分の経験の中」でできるものなのではないでしょうか。

 だから、裏切られたり、傷つけられたりすることを恐れるのでしょう。愛しているのに。そして、愛しているといわれても、疑うのです。
 しかし、神の愛には、恐れがないのです。神は傷つけず、神は覆うのです。神は裏切らず、真実なのです。神は、私たちをこの地上で経験するどの愛よりももっと、確かな愛で私たちを愛しているのです。
 愛する御子、イエス・キリストをすら、十字架の死に渡すほど。
 母が胎の身(赤ん坊)を忘れても、「私は忘れない」というほどの強さで。

 神の愛を、ぜひ受け取ってください。