失うはずの命だった − 新生児・肺水腫のいやし


生まれたばかりのシオン
体中管だらけでした。
はじめて見た時、卒倒するかと思うくらい
ショックでした。
 1998年の夏のある日、やっと妊娠9ヶ月に入ったその日、緊急帝王切開で長男を出産しました。2056グラムの赤ちゃんは取り出された瞬間、か細い声でほんの少しだけ泣きました……。

 術後、私の病室に来る主人と母の様子が変でした。主人は何度も小児科医に呼び出され、私が様子をたずねても、「大丈夫」というだけで、母はとても無口で、私が子供の名前について話すとなぜか泣くのです。実はこのとき、赤ちゃんは生まれてからまったく自分で息が出来ず、人工呼吸器をつけても十分な酸素が取り込めないほどの瀕死の状態だったのでした。
 赤ちゃんのからだは月齢に対して200〜300グラムも水がたまってむくんでいる状態でした。どんなに悪くても、普通なら2回で効くという肺を開く薬を使ってもよくならず、かえって人工呼吸器の圧力に負けて右肺が破れてしまいました。レントゲンで普通の肺の10分の1くらいまで萎縮した肺を見ながら、主治医は左の肺が破れたら、もう助からないと言いました。

 しかしその左肺もレントゲンではまだ真っ白く、酸素をわずかしか取り込んではいませんでした。100パーセント酸素を供給しているにもかかわらず、血中酸素濃度は90パーセントを越えることはありませんでした。この状態では、たとえ命が助かっても、脳に重大な損傷が出ている可能性が高いこと、弱ったからだにたくさんの管が刺さっているため、感染症にとても弱いこと、高濃度酸素をたくさん使っているため未熟児網膜症の恐れがあること……、次から次へとマイナスの要因を告げられました。

 私には赤ちゃんの容態は知らされませんでした。それは主治医の意向だったようです。主人は祈れないほどのショックの中、ただただ感謝していたといいます。その上主人はもしこの子がだめなら、私がどうなってしまうかと、主人は心配したようです。この子の前に、私たちは6ヶ月の子を死産していたからです。赤ちゃんと私のために、全国のTLCCCのクリスチャン達が祈っていてくれていました。

 生後2日目の夜、私たちは病室で話しました(このときまだ私は赤ちゃんの窮状を知りませんでしたが)。
「みんなに赤ちゃんのこと、『シオン』って名前で祈ってもらおう。」
 私は名前について、神様のみことばをもらっていました。
  私たちの祝祭の都、シオンを見よ。
  あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。
  …そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。…(イザヤ書33章20〜21節)

 主人も同じことを神様に促されていたようで、その場で電話に走ってくれました。次の朝でした。初めて主治医が主人に明るい顔を見せて行ったそうです。
「赤ん坊の肺が開き始めました!」
 その日中には酸素濃度は90%代後半になり、レントゲンでは肺の水が引いていくのがわかるようになりました。
 結局、体重こそ1500グラム台まで下がったものの、呼吸は安定し、10日後には人工呼吸器は止まり、さらにそれから2日後に完全にとれました。それから3週間目にはいると酸素から空気の呼吸になり、そして誕生日から50日後、元気に退院できたのです。

 多くの方に祈っていただきました。
 主治医は他に要因が見つからなかったのか、「この子の生命力」といいました。しかし、働かれたのは神です。失うはずの命でした。
 主のみ名をたたえます。
 

生後10日目頃
この頃体重は1580グラムくらいでした。
    
元気に育って、今、7歳です!